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2008年8月

自由ではなかった美術界

読売新聞〔時の余白に〕という欄がありますが今日は興味深い事が書いてありました。

池田龍雄という抽象画家の話です。戦争でいろんな思いをした画家は〔自分はどうせ一度死んだ。余生は自由に生きよう。自由に生きるなら芸術だろう〕とおもって入学した多摩美専で、自由に描いた抽象風の絵を美術界のボスだった教授に〔学生の癖に生意気だ〕といわれ零点にされます。こういう人間が審査員になって,人の運命を支配しているそのばかばかしさにきづいたと書いてありました。〔長い記事でしたが私が勝手に記事を縮小しました〕

もう亡くなりましたが、私の知り合いのM画家がまったく同じことをよく言っていました。Mさんはパリで修行し日本へ戻って一時画壇に属した事がありましたが、絵画団体と肌が合わずやめてしまい、ある山村に住み、村の支援で小さな美術館を設立して自由に絵を描いていました。彼はよく私に〔絵画団体に所属して何のメリットがある〕といいました。彼のいうメリットとはあくまで〔上質の作品を描く〕という上でのことだったのですが、凡俗な私は○○会の所属というだけで安心感がありましたので、もっと自由になろうというより〔よらば大樹のかげ〕を選んだのでした。

いろいろ考えるとどちらが良いのかよく判りません。ますますよく判らなくなるのが今の美術界ではないかと思います。

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浅間山  F6号

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懐かしの映画

先日BSで放映していた〔ジャイアンツ〕を観ました。この長編映画をすでに2回は見ているので今回で3度目になります。嬉しいことに?物忘れが進んでいるので3度見ても結構楽しめるし、年齢と共に以前観た時とは又違った感覚で観られる面白さがあります。

私はジェイムス・ディーンのデビュー作〔エデンの東〕と次作〔理由なき反抗〕は彼の持ち味を余す所なく引き出されていると思うのですが〔ジャイアンツ〕はそのかぎりではないように思います。むしろミスキャストではないかと。とくに老け役でメークが不自然、名演技と言われたラストシーンもいかにもの演技です。同じパターンではマーロンブランドと ロバート・デ・ニーロ。俳優養成所が同じだから仕方がないとしても、ちょっとマーロン・ブランドを意識したような演技と見えたのは私がマーロンブランドのファンだったせいかもしれません。デ・ニーロはつまらない映画に出演してもあの演技ですからちょっと辟易するところがあるし。

リズ・テーラーは昔の女優らしく、あらためて見ると小柄なんですね。その彼女と並んでもさほど身長が変わらないJ・ディーン小さかったんだ!夫役のロック・ハドソンやはり見てくれだけの俳優でした。

とこれだけの新発見、3度見ても飽きませんでした ^^♪

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パトロール・カード

郵便受けにパトロール・カードなるものが入っていました。見ると市警察署の用紙にパトロールの警官2名サイン、裏には(パトロールしました。異常は認められませんでした)と書いてあります。これ一軒一軒に置いていくのかしら・・・?

昔はパトロールのおまわりさん各家庭をピックアップしてチャイムを押して声をかけてくれたようにおもいましたが。この用紙を置いていかなければ、パトロールなど最近はしないのだと私は思っていました。

私がこの団地へ越してきた当時はここは新開地ということもあってパトロールはまめだったように思います。ある日2人の若いおまわりさんがパトロールに見えて(お変わりありませんか)と声をかけてくれました。二言三言会話を交わし、私が何気なく(お茶でも・・・)といったところこのお二人素直に我が家へ上がりました。制帽を取ると二人ともまだ二十そこそこの若さです。コーヒーを入れて会話をしているうち、二人は我が家の購入したばかりのステレオを見ていたく気に入り、レコードをかけてもいいかなどと言いますので好きなものを聞いてもらいました。こうして2人の若いおまわりさんは我が家で30分以上は遊んでいきました。(寮はなんにもないから・・・)とかいって。。。夫にそのことを話したら〔警察はそんなことは出来ないはずだよ。おかしいなぁ、ほんとにおまわりか?〕というのです。二人は帰るときちゃんと勤務先の交番と名前を書いていきましたので違うはずはないのです。おそらく若いおまわりさん達はついつい新品のステレオと好きな曲にひととき我を忘れたと解釈すべきです。世の中まだまだ穏やかな時代の話ですもの。。。

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お父さんの言葉が・・・

しつこいようですが又ある親子の事を。

ドライブの途中飲み物を買いにコンビニに寄りました。私と一緒に小学生の姉妹が入ってきて何かを物色中です。2人があれこれ買い物を探していると、お父さんらしき、中年と言うにはまだ若い男性が少女達に近づき〔おめぇら、なにぐずぐずしてんだよ!早くしろよ。こんなところで時間食ってる場合じゃないだろうが・・・○△■#@★&△*〕とまくし立てました。その言葉の乱暴なこと!しかしながら不思議と険悪な雰囲気ではないのです。父親の言葉は書けば非常に汚い言葉に感じますが、声のトーンと、なんというか、流れるような発音?のせいで荒々しさがなく、少女達も父親の言葉にいまひとつ反応が緩やかです。無視したふうではないのですがかといって急ぐふうもなくゆったり買い物を続けています。三人の様子はきちんとした服装で父親はむしろ品がよいといっていいくらいでした。男性はどうして言葉だけが乱暴なのか不思議で仕方ありません。少女達に乱暴な声をかけながら自分も急ぐふうもなくいっしょに店から出た親子に可笑しくて思わず笑ってしまいました。

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泣く子供

子供のしつけに関連してふと思い出したことを書きます。

以前、東京から自宅へ帰る電車の中で、白人の親子を見かけました。30歳前後の落ち着いた雰囲気の母親と男の子は4歳ぐらいでしょうか。。。混んでいる電車の中で2人は手を繋いで立っています。みると男の子はどういう理由か泣いているのです。涙が男の子の小さな顔を次から次と流れているのですが彼は声をたてることはありませんでした。静かにただ涙を流しているのです。母親は我が子が泣いているのを知らないわけは無いのですが、一言も声をかけずに子供の手を握って静かに立っています。子供はひとしきり涙を流していましたが、やがてなき終わって何事も無かったようにじっとしています。公衆の前で大声で泣き喚く子供を見慣れている私は、この声を出さずに泣いた小さな子に少なからずの感動をおぼえました。何処の国の親子かわかりませんが、この親子の国ではこれが普通のしつけとなっているのか、この見るからに賢そうな母親だけのしつけなのか知る由もありません。4.5歳の子供なら大勢の前で大の字になって手足をばたつかせて泣き喚いても仕方のないことと容認している国の子とはあまりの違いに考えさせられた出来事でした。

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子供のしつけの話

先日からたびたび〔子供のしつけ〕が新聞の投稿欄で話題になっています。思うように子供をしつけられなくて悩んでいる母親がいかに多いか反響が物語っています。子の無い私にはその苦労がどれほどのものか本当のところわかりません。私は子供の頃母にことさらにしつけられたという感じは受けないし、母もまた8人の子供を育てる苦労は話した事がないのです。8人も子供が居ればちょっとした社会生活ですから、おのずと秩序をわきまえなければなりません。それが知らず知らずのしつけにあたるものになったのだと思います。8人の子が、それぞれきちんとしなければこの家庭という小さな社会で生きにくくなると漠然ながら感じて育ったのです。今はまったく条件が違いますからなんともいえませんが、物質面は別として、しつけだけに焦点をむければ、一人、二人の子を母親だけがしつけるというほうが苦労なのはなんだかわかるような気もします。いまひとつは、しつけ方を知らない母親が子供をしつけるという役割をしているのではないかということです。むしろこちらの問題の方が多いのではないでしょうか。的確なしつけがわからなくて苦労ばかりが空回りと言うことではないかと思うのです。子育てに限っていえば、今の夫婦子供単位ではなく2世帯、3世帯の家族構成がどれほど子育てに適しているかということです。

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顔が覚えられない

昨日に引き続き(老化現象)の話。

わがデッサン会に入会したいとの電話が金曜の夜にかかってきました。よく聞くと以前会員だった男性です。ここのところ脱会する人が続きましたので2つ返事でOK、明日(土曜日)からでもどうぞ といって電話をきりました、翌日会場へいくとかの男性が来ていて私を待っています。そういえばなんとなく見た事があるような顔なので〔よくきてくれましたね。最近会員が少なくて困っていたんですよ。以前会員だったとおっしゃっていたけどいつ頃でした?〕というと彼は〔いや、僕は3ヶ月前に入会したんですよ〕〔??〕私は一瞬立ち止まって男性の顔を見つめ〔しまった!!〕

この男性、前日電話をくれた方ではなく、少し前会員になった新人でした。見覚えがあるはず。もう3回は顔をあわせているのに、なぜか昨夜の電話の主と思いこんでしまったのです。〔まぁ、ごめんなさい!えーと・・・・・〕〔○○です!〕うろたえたので彼の名前もすぐには出ません。なぜ間違えたかをくどくどと弁解しているうち、電話の主が到着。それが偶然にも年齢、タイプがよく似ていたので〔ホラね、間違えても無理ないでしょ。〕と強引に取り繕いました。云いたくはないが〔年はとりたくない。。。〕

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云ってしまった(アレ)

今日、自分の吐いた言葉に愕然となりました。今風に言うと(キター!!)という感じでしょうか。

私はかねがね、老人の方々、とくに女性に多いように感じますが(・・・アレして)という言葉を気にしていまして密かに(アレを使うようになったらおしまい。(アレ)は前頭葉の働きが鈍くなってしまった証拠)と思っていたものです。つまりいいたい言葉がすんなり出ずに、出ない言葉を全部(アレ)に置き換えてしまうパターンです。自分だけは(アレ)を使うことはないだろうとつい先ごろまで思っていたのですが、今日デッサン会の会場前で友人に(部屋の鍵を持って先に行ってて、今、アレしてからいくから・・・)といってしまいました。きわめて自然に。。。私は荷物が多いので会場の玄関先まで車をよせて荷物を運び出して車を駐車場に戻したかったのです。(車を駐車場に置いてから行くから)と言うべきだったのに(今、アレしてから・・・)と。。。これはかなりショックなことでした。あ~ぁ、とうとう来たかと忸怩たる思いです。

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当ブログについて

このブログを立ち上げた初日、私はコメント欄とトラックバック欄を削除したままでした。そのほうが云いたい放題を書けて、それに対する批判のコメントを見なくて済むと思ったからです。今、あらためて最初の記事を読んでみると、じつにのびのびと悪口三昧を書きまくっています。しかしいささかさびしいものがあり、わずか2日でコメント欄を戻すというふがいなさ。。。最近アクセス数も多少多くなりコメントも頂くようになったら、初心を忘れて私いいおばあちゃんになろうとしているふしがあります。悪者に徹しようとするも、それ相応の知識や教養が必要ですし、だいいち鋭い切り口を持たなければ悪口もいまいち迫力に欠けます。悪い人は頭脳明晰でなければ務まりません。私の脳みそでは悪い人間に徹し切れません。

当ブログは(正直ばあさん記)というタイトルながら素性が曖昧のままで、これではなんとなく不正直な感じですが、素性を明かせば(あんなくだらないブログなど書きおって。。。)ということになります。なぜなら所属団体のH.Pに会員の作品と名前が載っていてすぐさま判る仕掛けになっているのです。また、友人知人、姉妹の冷笑、抗議も怖ろしい。こうなっては正直にものを書くというわけには行かず、差しさわりのないことのみを書くようになってしまいます。これでは私自身つまりません。というわけで、何処の誰べえかは以後も伏せることにいたしますので悪しからずお願いいたします。

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お向いの友人lovely

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謙虚ということ

昨日の記事に関連した、田舎侍とは打って変わった話。

以前、今の画壇で素晴らしい才能を発揮しているS画家の個展を銀座高島屋の6階(だったかしら・・・?)にある美術館へ観に行ったときのことです。私は絵画研究所の帰りでしたので閉館すれすれに駆け込みました。観客は私のほかに2人ばかり。。。画家自身が受付の場所に座っていましたが、観ている私の側に近づいてきて(絵を描かれる方ですか?)と尋ねたのでした。私はこの、飛ぶ鳥を落とす勢いの画家にそう聞かれ、一瞬答えに窮しました。私としてはこの人気画家の前で絵を描いてますなどととてもおこがましくて云いたくなかったのですが(ええ、少し・・・)と答えてしまいました。するとS先生は作品のある箇所を指差して(此処はこれでよかったのかどうか・・・まだすっきりしないんですよ)というではありませんか。ほんとうに驚きました。S先生はダイナミックな絵を描く方なので、私はイメージ的に豪放磊落な方と想像していましたがまるで違いました。物静かで繊細な(これでいいのかどうか・・・)と言われたときなどむしろ気弱さを漂わしていたようにおもいました。(実るほど頭を垂れる・・・)とよくいいますが、S先生のこの謙虚さには心から感動したものです。

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ど素人

私の住む田舎町にも伝統ある美術団体があって、大方の在住画家、その息のかかった美術を目指す方々が入会しています。私のようなよそ者でも絵を描いている人間はその団体に身を低くして入会を願い出るのがなにかにつけていいようなのですが、聞くところによると内部に揉め事が多いそうで入会はしませんでした。以前、友人がその会の展覧会に出かけひどい云われ方をされたといって憤慨していました。私と同様、友人も美術大学出身者ではありません。ほぼ独学で中央画壇へなんとか潜り込んだという経歴です。この会の独裁者で有名な人物にに(○○会に所属しているんだって?ど素人がよく入れたね)と面と向かって云われたとか。。。ご丁寧に(ど素人)を2度も重ねて言われたので(殴ってやろうか)と思うほど腹が立ったといっていました。この会の人たちは皆さん立派な美術大学を出ているので、そういう学校を出ていない画家は認めない風潮があるのです。しかし私が見るところ(ど素人)の友人の方が数段いい絵を描いていて中央画壇で受賞もしています。ど素人呼ばわりをされる絵ではないのです。美術学校といってもたかだか3年ぐらいでしょう。その後しだいではその境界線は無くなってしまう例をたくさん知っています。老年の私がいうのもなんですが、年寄りのこういう頭の固さには辟易させられます。

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津軽の番屋

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妹より若い!?

故郷の妹と電話で会話中、可愛い声が割って入りました。〔キヨオバちゃんheart02〕妹の孫リュー君〔4歳〕 ママ〔姪〕がはたらいている為妹が孫のお守をしているのです。昨年実家に行った際リュー君はすぐ私になついて〔キヨおばちゃん〕とまつわりとくので、子、孫のない私、その可愛さにすっかりメロメロになってしまいました。しかし、ここで可笑しいのは私の妹が〔おばあちゃん〕で私が〔おばちゃん〕なのです。彼は母親が私を〔キヨ伯母ちゃん〕というのを聞いていますから当然同じように〔キヨ伯母ちゃん〕といっているのです。なにか儲かったような得したような・・・^^ 電話するたびその言い方を忘れぬよう電話口に子供を呼び出しては〔だぁ~れダ〕というと受話器の向こうから〔キヨおばちゃんheart02〕と間髪いれずに返ってきます。爪の先ほどのしあわせ。。。

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睡魔

昨夜いつものようにPCに向かっている最中に我慢できないほどの睡魔に襲われ、楽しみに回覧している方々のブログも拝見できずに早々に就寝してしまいました。

パソコンをはじめてからなかったこと。。。慢性的な寝不足がどっと押し寄せたのかしら。。。?展覧会用の絵が描き終わったのも眠気の原因のひとつかもしれません。

睡魔といえば過って忘れられない思い出があります。若い頃結婚前の夫と二人上野文化会館にピアノ演奏会にでかけました。私は絵が好きという以外は他の芸術には、特にクラシック音楽の知識はゼロの人間でしたので、ただ夫になる彼に従っただけでした。席は会場の前列の方です。演奏が始まってまもなく恐ろしい事態が。。。たまらない睡魔が襲ってきました。まさに眠りの世界から悪魔がやってきた!戦ったも戦っても勝てないのです。もぞもぞ動くことも出来ません。地獄の苦しみでした。音楽会であんな辛い目にあうとは夢にも思いませんでした。会場をでて夫〔やぁ、眠くなっちゃったよねぇ~^^〕・・・ちゃんと知っていたんですね、私が睡魔と闘っていたこと。もう2度とピアノ演奏会などごめんです。因みにクラシックバレーも駄目ですね^_^;

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長野 北御牧村の廃屋

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〔君〕について

昨夜例によって〔二木紘三うた物語〕のブログへ伺い、懐かしい曲を拝聴しました。〔並木の雨〕〔旅の夜風〕を聴き〔三百六十五夜〕の曲にアクセスしたらたくさんのコメントが寄せられていました。〔三百六十五夜〕のなかの歌詞〔はじめて逢うたあの夜の君が〕の〔君〕についての質問、ご意見でした。そして〔管理者〕様の説得力のあるご回答。このサイトが好きなのはもちろん名曲の数々を聴くことが出来るからですが、曲についてのコメントがそれぞれ妙味があり楽しく拝見できるからです。

さて私はこの〔君〕という言葉に特別な思い入れがあります。〔二木紘三うた物語〕の格調高いやり取りとはうってかわって次元の低い〔君〕についての話です。

東北生まれで言葉にコンプレックスのあった私は正しい標準語を話す人に魅力を感じました。映画では男性が女性に問いかけるとき〔君〕といいましたが、この〔君〕という言葉が私には東京弁を代表する言葉でした。生まれ育った処にはない言葉です。東京育ちの夫は付き合い始めた頃には私に問いかけるとき当然〔君は・・・〕といいますのでしばらくは思いを遂げたようで嬉しかったのですが、結婚した途端私を〔アンタ〕というのです。〔?〕不思議に感じ、あるとき〔アンタというのは変じゃない?〕とさりげなく抗議したところ、東京弁にもいろいろあるというのです。夫は下町のどぶ板を踏んで育った人間ですから、下町特有の言葉で、私が憧れた標準語ではなかったのです。〔君〕は山手の上品な人たちの言葉であって下町言葉ではなかったのですね。私は騙されたのです。

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潔癖症

絵仲間のOさんは医師ですが、この方、大変な潔癖症でした。症とつくからには病気の類なのでしょう。仕事中にもまめな手洗いは当人はもちろんのこと、スタッフにも口やかましく云うので嫌がられると奥様が云っておられました。奥様は〔主人たら、トイレに入るときズボンを脱いで入るんですよ。手を清潔にしてからでないと衣服に触りたくないらしいの〕と当人が聞いたら嫌がるだろう事をあっさり打ち明けます。

O先生は戦時中、軍医としてビルマに行かれたそうです。軍医といえども兵隊と共に過ごすわけですから、清潔でいられるわけがありません。水のない場所では食器を洗うことも出来ず、蝿のとまった食器で何日も食事をしなければならなかったそうです。〔先生、どうしたんですか?〕と聞くと以外にも〔うん、それで食べたよ〕と平然とした返事。食べなければ命に関わりますから、戦地では一時的に潔癖症は影を潜めたようです。終戦になり帰国して仕事をはじめると、又もとの潔癖症に戻ったわけです。O先生都合のよい潔癖症だったんですね。O先生は昭和58年に年に亡くなられました。

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63年前

私がまだ幼くて、戦争の恐ろしさを知らないまま東北の片田舎で過ごしていたころ、私の夫は63年前の3月10日、東京深川でB29の襲撃による猛火によって生死の中にいました。B29は東京の民間人を火の壁を作って逃げられないように閉じ込めておいて、逃げ惑う人々を低空飛行で機銃掃射をあびせたのです。私の夫は13歳でしたが猛火の中わずかな溝に身を伏せてなんとか命拾いをしました。かなり長いこと身を伏せていて、やっと回りが静まったように思えたので身を起こして周りを見渡すとそこは地獄の只中だったということです。みんな死に絶え、黒焦げの死体が累々と横たわっていて、はじめこそ恐怖に震えましたが、すぐにその状態に慣れたそうです。死人の山が少しも怖くなく、それより生きなければという思いでいっぱいだったそうです。身内とも離れ離れになり、食べるものもありません。ふらふらしているうちお腹はすきます。食べ物が欲しい!どうしたかというと、亡くなった方のポケットなどを探し、少しでも食べられそうなものを探しては食べたということでした。そのうち千葉に親戚があるのを思い出し、命からがら親戚の家にたどり着いたのです。のち、幸運にも母親と二人の姉も無事にたどりつき再会できました。しかし、ほんとうの辛さ、大変さはこれからだったんですね。その話は後ほど。。。

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齋藤博之ペン画集 〔死の影の兵士たち〕から。。。

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懲りない女

展覧会の搬入まで後4日しかないというのに今になって気に入らない箇所がでてきました。目をつぶるか。思い切って加筆するか・・・。毎回こうなのです。ほんとうはとっくに仕上げてつやをかけておかなければならないものを。なぜもこう間際までもたつくのか。もう癖としかいいようがありません。挙句、直す前より悪くしてしまい期日に間に合わず中途半端な絵を出品ということもしばしばです。毎回今回こそはそういうことのないようにと早めにキャンバスの用意をして描きはじめるのですが、早すぎてもこれが途中でだれて来ます。描いた絵に飽きてくるし、もっとどうにかなるはずとこねくり回しているうちに収拾がつかなくなることがしょっちゅうです。先日私の好きな画家野見山暁冶氏が(油絵はいったん直し始めると元へは戻らなくなるんですよ)と飄々とした言い方をされていたのをテレビでみて、この大画家にしてそうなのかとちょっと笑いました。大画家を引き合いに出すのもおこがましい話ですが、ましてや素人に毛の生えた程度の私、迷いに迷うのも当たり前なのですが、いかんせん、出品間際まで迷い続けるのはいけません。この数十年来の 悪癖をなんとかできないものかと思い次第です。

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小諸 懐古園

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父のこと

今日は父のことを少し書きたいと思います。夕べ(二木紘三のうた物語)を訪問し童謡(うみ)を拝聴しているうちふと父を思い出しました。

父は魚の食べ方の大変きれいな人でした。私は幼いころ晩酌をする父の傍らで、魚がじょじょに骨だけにされていく様を眺めているのが好きでした。その頃は子供ながらも見事な食事の仕方を不思議に思ったものですが、長じて父の生い立ちを母に聞いてその理由がわかりました。父の家は仙台の豪農だったそうですが、父親(私の祖父)が身代をつぶし一家が離散したということです。父は10歳で他家へ貰われ、そこで丁稚同然に働かされました。養母にあたる人のしつけは大変に厳しく、まだ幼かった父の箸の上げ下ろしまでを側で厳しく目を光らせていたということでした。父の生い立ちを母の口から聞いているうち、当時若かった私は、普段ほとんど子供達と会話を交わさない無口な父が、そのような話を母に語っていたことに意外な思いをしたことを覚えています。そういうわけで父の食事の仕方、特に魚のきれいな食べ方は父の辛かったであろう生い立ちのなごりだったのです。

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故郷です

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身体の変調

年をとった話などあまりしたくもないですが。。。身体の変調が思わぬところに出るんですね。先日食事中、突然耳の下がじぃーんと痛み、鏡でその箇所をよく見るとなんだか腫れているようです。一晩熱さましシップを貼って翌日耳鼻科へ行きました。診察の結果、医師の言うには(唾液腺に小さな石のような物が出来、詰まった場合そういうことがおこります)という診断でした。高齢になると唾液の出が悪くなりこのような症状が起きるそうで、(梅干のようなものをたまに含んでいればいいですよ)とのこと。梅干などそうしょっちゅう食べられませんので代わりにガムを大量に買い込んで噛むことにしました。とうとう高齢者特有の症状がでるようになった今日この頃です。ショック!

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認識の相違

私が習慣的に訪問しているサイト〔矢島武弘のページ ( yajimatakehiro2007)〕で矢嶋様の過去の興味深い記事を読む事が出来ました。

彼がネットで検索中、純文学と思って書いた自伝的小説(青春流転)が思わぬサイトに掲載されているのを発見、驚き、そして笑ったとありました。そのことを客観的に観察しあまつさえ楽しまれたふしもあります。

記事の内容を読んで私も少なからず似た経験をした事を思い出しました。かなり前の話です。私はある美術団体に属して、本展覧会には裸婦をモチーフにした絵を出品していました。私自身はあくまで構図として女性の身体を(カタチ)で表現した絵を描いたのですが、作品が評議員の間で物議をかもしているということが伝わってきました。物議?なんで?という思いでよくよく聞いたところ、なんと(えげつない)ということらしいのです。私は自分では芸術のつもりで描いたものが評価されないばかりか、画品がないなどと陰で言われていることを知って抗議しました。結局、云った覚えがない。誰も言ってない、でうやむやになってしまいましたが後味の悪い思いをしました。意識の違いで相容れない、またはまったく違う角度で見られるということがままあるものです。若い頃はかっとして抗議という行動にでましたが、今思うと要するに、力不足だったのです。力量があれば物議をかもすことになろう筈はありません。なまじエゴン・シーレにかぶれたりしたものですから。。。(赤面)

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所要時間  15分

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町の衰退

昨日、隣県まで出かけたのですが、国道を走っているとやたら閉店が目立ちます。世の不景気が如実にあらわれているようで気がめいりますね。ガソリンスタンド、レストランなどの閉店が目立ちます。げんに私のよく利用した近くの和風レストランがなくなってしまい目下似たような和風レストランを探している最中です。

かとおもうと 国道に大型ショッピングセンターが2箇所出来てしまいました。こうなると町の商店街はますます精彩を欠き、夜などまるでゴーストタウンのようです。今、日本中が似たような現象にあるらしいですね。

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群馬県高崎市倉賀野町。右中山道 左 例幣使街道 

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映画好きだった御大

今、〔二木紘三のうた物語〕のサイトで懐かしい〔慕情〕を聴いてきました。〔慕情〕は香港を舞台にアメリカの新聞記者と美しい混血の女医が繰り広げる悲恋物語で当時大変話題になった映画です。この映画を見るたび、テーマ曲を聴くたび思い出す方がいます。

十数年前になりますが、裸婦を描いたら右に出るものがないという画家のK氏が伊東にある池田20世紀美術館で個展を開くことを知り、遠路を厭わず出かけました。伊豆で一泊し朝一番で美術館に入ると、開館日だというのに陳列に不満があるらしく、K画家本人が作品の並び替えを指図しています。小柄ながら均整の取れた身体を黒いタートルネックのセーターで包み、その容貌は眼光鋭く評判どうりいかにも気難しそうな雰囲気でした。大作を見終わり、小品に差し掛かって〔おや、こんな作品も描かれるんだ〕と思いながら見ていると後から〔この風景何処だかわかる?〕と声がかかりました。振り返るとびっくり!画家が後ろに立っています。〔さぁ、?〕丘に立ち木があるだけの難しい構図を独特の手法で描いてあります。私にわかる訳などないと思っていると〔慕情観たでしょ、あの丘のあの木ですよ〕私、思わず〔あ、慕情のあの丘ですか!そうかぁ~!〕そのときのK氏のお顔は画集でお目にかかる大家然とした感じがなく、私と同年輩の映画好きのオジサンになっていました。絵に描いたからには彼はわざわざヴィクトリア・ピークまで出かけたに違いありません。そのことを聞こうと思った矢先、美術館の関係者が来て画家を連れ去りました。つかの間の尊敬する画家との個人的な会話。宝石のようなひと時でした。

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海野宿

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性別不明

昨日 ある女性ブロガーの方から(貴方は女性ですか。男性ですか?)というコメントを頂きました^^思いがけない質問でなんだかすっかり楽しくなりました。パソコンの操作が未熟なことと、雑な性格でプロフィールを書いていませんでしたので、私の記事を読まれた方は文章で判断するより仕方がありません。女性のハンドルネームで書かれている男性ブロガーも多く、この方は私の文章では判断がつかなかったのだと思います。

昔、秩父の峠(峠の名前を忘れました)でスケッチをした時、今思い出しても可笑しくなる出来事がありました。

3月のまだ肌寒いころ、分厚いアノラックを着こんでスケッチをしていたところ、近くの幼稚園児が通かかりました。最初の子供が元気よく〔オジサン、こんにちは〕と。。。後に続いた十数名の子供達も次々と〔オジサン、こんにちは〕といいます。私、後むきでしたので、子供達に向いて〔はい、こんにちは~^^♪〕といいましたが、子供達は私が表面を向いても引き続き〔オジサン、こんにちは〕というのです。最後の子供まできっちりと〔オジサン、こんにちは〕といいきり、その後を引率の若い先生が軽く頭を下げ〔こんにちは〕とこれには〔オジサン〕がつきません。そして前を歩いている最後の男の子にしゃがみこんで何か話しかけています。とその男の子は私の前まで走ってきてまたすぐに引き返し〔オバサンだった!〕  引率の先生遠くから恐縮したように何度もお辞儀をしてから子供達と立ち去りました。しかし、顔を見せても〔オジサン〕といわれた私、次回からはたとへ山中に出かけるにしても口紅をつけて行くようにしました。幼稚園児にもムキになる〔オバサン〕happy01

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〔オジサン〕といわれても仕方のない格好です(>_<)

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微妙な誉め言葉

人は私を努力家といいます。人によっては心地よい誉め言葉と思いますが、私は内心複雑な心境になります。絵はあるところまでいくと努力だけではどうにもならないところにぶつかってしまいます。その先へ進みたいと願ってもかないません。よく99%の努力と1%の才能という言葉を聞きますが、この場合は1%の才能が最も大事なことではないかと思うのです。120%の努力しても、1%の才能とほどほどの努力をする人にかないません。やりきれないことにこれが事実です。才能のパーセンテージが高ければ高いほどいいわけで人はそれを天才と呼びます。

頭のいい人は、その事がわかった時に絵を楽しみごとに変えてしまいます。が頭の悪い私、100%の努力でどこまで出来るだろうと虚しい努力を重ねるほうを選んでしまいました。しかも、一口に努力といっても見当違いの努力では大変な遠周りをしてしまいます。ただ、遠まわりをし、いつまでも先の見えないことにうつつを抜かしている幸せというのもあるにはあるのです。

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現場主義

以前作家ほど嘘をつく商売はないということを作家(誰だか忘れました)自身が言っていました。小説は事実ばかりを書いていたのでは話にならないということでしょう。絵描きも同じ事がいえます。先日書店で一般的な美術雑誌を見ていたら、信濃風景の特集が載っていました。掲載された画家達は現場主義らしくその場の風景をそのまま切り取って描いていました。う~ん!これがなかな難しい。みなさんなかなかの腕前には違いないのですが風景は注文どうりには行きません。特に川の表現に難儀してように感じられました。あるいは難儀を感じなかったのかもしれませんがそれはそれで問題です。画面を絵として成り立たせるには構図が必要です。だが風景は捜してもそう都合のいいものではありません。そこでこっそり嘘をつくわけですが、嘘がばれるようではいけません。嘘をつくのに技術がいります。私も以前は現場主義でしたが、景色に呑まれてしまって上手くいきません。現在は専ら家でスケッチから描く事が多いです。

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浅間山と北アルプス いずれも未完成

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トラウマ

左利きのことを書いているうちちょっと思い出した事があるので、しつこいとは思いましたが今日も関連記事を書きたいと思います。

私の幼年時代は 左利きの子供は劣性とみなされていたようです。学校では鉛筆を持つ手を厳しく指導され、家では箸の持ち方を容赦なく直され、幼い身にはけっこう大変なことでした。

当時の学校机は児童が2人並んで座るタイプでしたが、小学校3年のとき、お習字の時間隣に座る子に先生が指導する際私の存在が邪魔だったのでしょう、後ろの空いた机を指差し(K子ちゃん(私) ちょっとあそこに座っていて!)といいました。隣のS子ちゃんはお習字が得意で先生も一段と指導に熱が入ったのでしょう。先生はその後、私に元の席へ戻るようにいわずに去りました。私を忘れたのか、隣の席の子にのびのびと字を書かせたかったのかは知りません。これだけのことなのに、たった、4,50分ほどの時間なのに他の子供達と離れた席に座らされた時の気持が60年の年を経ても思い出されます。ちなみにそのとき練習していた字はひらがなの(む)でした。これが左利きの子供には至難の業!右利きの方左で(む)の字をおためしあれ。。。

話はがらりと変わりますが、昨年、己が能力と職務の折り合いがつかず、お体に変調をきたしてお仕事を投げ出された政治家がいらっしゃいましたが、かの政治家ももしかしたら左利きでは。。。?なぜかというに、在任中小学生だったか中学生だったか忘れましたが色紙を書いて差し上げた字の下手だったこと!!私を上回っていましたhappy01

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拙筆の悲哀

昨日の記事に関連します。字が下手ということは肩身の狭い思いや恥ずかしい思いをするものです。嫌だなと密かに思うのは、町の絵画展覧会場での署名です。小さな町の絵画人口は知れたもの、各団体の作品展があればお互い展覧会場に出かけます。そのときに会場の入り口で署名をするわけですが、画家達は大概立派な字体の方が多いのです。まれには書道家ではと思うほどすぐれた、または独自のユニークな字体で署名してあり、己が絵よりもよほどアピールするのではないかと思えるような署名も見かけます。その同じ並びに私も署名しなければならないのですが、これがなんとも屈辱的な思いをしなければなりません。なに、書道家でもあるまいしと平静を装って署名するわけですがやはり堂々たる字の並ぶ間の私の字の乏しいこと。。。この思いが著しいのは、各高校の美術部の展覧会です。美術部の生徒達は先輩画家の展覧会を熱心に観に来るので画風で誰の絵か判って居ます。署名で(あ、あの絵の誰それ)と思うわけですが、私の署名を見た途端(絵も下手だが字はもっと下手!)と思うかも・・・(ー_ー)!! あぁ憂鬱。

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筋肉の衰え

筋肉の衰えがいよいよ末端にも来ています。左手の中指と薬指が2,3日前から痛いのでリュウマチにでもなったかと心配でしたが、どうやらペィンティングナイフを握って数時間キャンバスを削ったことによる痛みと判りました。高齢になると絵の力が落ちるとよく言われますが、作品の力量より先に正真正、腕、指の力が落ちるとは。。。なぜ左手かというと実は左利きなのです。子供の頃厳しく直された、箸を持つ、字を書く以外は今でも左を使う方が自然です。削りは描くと同様一つの技法なのでコレができないと困ることになります。仕方が無い、奥の手(夫の手)を使いましょうか。これが高齢の割にはバ○力を発揮するのでうっかり目を離しようものならキャンバスに穴を開けられる恐れがあります。付っきりでスパルタ式指導が必要になります。

ついでながら私の特技を紹介します。左で右手同様の字が書けます。いわゆる(鏡文字)というものです。これが不思議なことに字体が右手とほぼ同じなのですね。当然ながら、本来左手で字を書く人間が無理に右手に直された私の字、天晴れな拙筆です。

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足尾散策続き

昨日、足尾散策という記事を書きましたが、もう少し詳しく書いてみようと思います。どうも物事をいいかげんに済ます癖がブログにも出るようです。昨日の記事では足尾といっても遠方の方や、お若い方には何処にある町なのかわかりませんね。

栃木県にある足尾町は江戸時代から鉱山の町として栄えた処です。その最盛期は江戸時代前期といわれています。明治維新後政府から民間の手に渡り古河市兵衛が経営に当たって東アジア最大の鉱山となりました。1885年頃 鉱毒ガスや酸性雨で 山は禿山となり付近の農民の土地にもいろいろな弊害をもたらすようになります。農民代表として鉱毒問題を政治の場まで押し上げて戦った田中正造は有名です。足尾鉱毒事件といえば異例の長期にわたる事件なので学校で勉強された方も多いと思います。私が7月はじめ足尾町を訪れ見聞きしたことと一部を調べまして書きましたが、足尾についてもっとお詳しい方補足をお願いします。

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足尾精錬所

20年ほど前来た時には精錬所は細々ながら稼動していましたが今回はひっそりしていました。                                  

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禿山はだいぶ緑化されましたがまだまだですね。P1050337     

町からかなり離れた山奥です。村があったのでしょう。

まだまだ興味深い写真がありますが、残りはまたの機会にします。

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足尾散策

○ 夏草の生い茂りいし廃村の抗夫入りたる浴場の跡

7月はじめ、足尾山中にある鄙びた温泉場へ出かけました。温泉へ行く前に足尾の町を散策。渡良瀬川が流れる足尾の町は静かで美しいのですが、過っての活気あった時代の建物などが保存されることもなく朽ち果てる様が多くみられました。江戸時代から日本経済の一端を担った町なのに、時代に取り残されたような侘びしさを感じます。

温泉場へ行く途中の、町中から遠く離れた山中にも、洞窟をそのまま利用したと思われる火薬庫跡や学校跡、その他の建物跡が点在し興味深く、目的地に着くのが大幅に遅れてしまいました。

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浴場跡  仕事を終えた抗夫たちの声が飛び交うさまが想像されます

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山間の美しい町です

そうそう、江戸時代足尾で鋳造された一文銭を(足字銭)といったそうですが、お金のことを(おあし)というのは(足字銭)が語源だという説がある、という立て札を見つけました。なるほど、そうだったのかと納得。

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童顔が増えている?

絵を描き続けていく必須条件として裸婦デッサンを定期的に続けていますが、最近とみに思うことはモデルさんたちの容貌が実に幼顔になってきているということです。いわゆる今で言う小顔で、目の位置が下のほうについて顎が小さいのです。大人の女の骨格ではないのです。私は顔は忠実に描かないほうですが、なかには丹念に顔を描く人も居ますし、日の浅い描き手は全体をなんとかつかめていても、童顔をそのまま描いてしまいますのでどうにもしまらないデッサンになってしまいます。童顔はよほどの上手い絵描きでないと骨格が掴みにくく絵が台無しになってしまいます。言い方は悪いのですが骨格がまともじゃないのですから。。。そのような顔が増えたのは一説には現代人の食べ物のせいとか・・・。童顔は仕方が無いとしても、頭の中の方は幼いままでは困りますね。

今日、矢嶋様〔yajimatakehiro2007〕のエントリーを拝見していて、深くうなずくところがあり、私はまったく違う視点で思うことを書きました。

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クロッキー 所要時間15分

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