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微妙な誉め言葉

人は私を努力家といいます。人によっては心地よい誉め言葉と思いますが、私は内心複雑な心境になります。絵はあるところまでいくと努力だけではどうにもならないところにぶつかってしまいます。その先へ進みたいと願ってもかないません。よく99%の努力と1%の才能という言葉を聞きますが、この場合は1%の才能が最も大事なことではないかと思うのです。120%の努力しても、1%の才能とほどほどの努力をする人にかないません。やりきれないことにこれが事実です。才能のパーセンテージが高ければ高いほどいいわけで人はそれを天才と呼びます。

頭のいい人は、その事がわかった時に絵を楽しみごとに変えてしまいます。が頭の悪い私、100%の努力でどこまで出来るだろうと虚しい努力を重ねるほうを選んでしまいました。しかも、一口に努力といっても見当違いの努力では大変な遠周りをしてしまいます。ただ、遠まわりをし、いつまでも先の見えないことにうつつを抜かしている幸せというのもあるにはあるのです。

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雑記」カテゴリの記事

コメント

happy01おキヨ様。。。
ブログの題名は”正直ばぁさん記”と
なっています。
ところでおキヨさんは女性でしょうか?
男性でしょうか????think
文章を読んでいると多分に男性的な
感じが致しまして。。。。
絵は。。。。sign02
いつ頃から描いていらっしゃいますか?

投稿: sunday | 2008年8月 8日 (金) 07時47分

sunday様
^_^;このコメントをいただき(やっぱり!)感があります。画壇に入会した際も絵を評価した評議員の
第一声は(男っぽいね!)でした(苦笑)ですからせめてニックネームは女らしく(おキヨ)と。正真正銘、神に誓って女性でございます^^

画歴は30年以上経っております。で、絵はこの程度ですね。

投稿: おキヨ | 2008年8月 8日 (金) 11時20分

おキヨ様
はじめてコメントをさせていただきます。
すばらしい作品の数々と軽妙な語り口、それにブログデザインの美しさにひかれ、いつも楽しく拝見いたしております。
実は以前からこのコラムが心に懸かっており、今回あえてコメントをさせていただきました。
99パーセントの努力も1パーセントの天分の前には虚しい。この気持ち、私のような凡人にもわかります。
しかし、考えてみれば「人間として」出来るのは、「努力」しかないのではないかと言う気がします。
絵画の素養がまったくない私ですが、天才といわれるピカソをあまり好きではありません。晩年の彼の作品などをみると、天賦の才能を浪費しているように思えてならないのです。やはり天才といわれたモーツァルトですが、彼が最もほしがっていたの「努力家ですね」という言葉だそうですよ。「努力家」というのは、やはり最高の賛辞ではありませんか?神童型天才のモーツァルトと努力型天才のベートーベン、両者に優劣などありませんよね。菊と薔薇に優劣など無いように。
若輩者の小癪な感想です、なにとぞ”笑って許して”ください。

投稿: くまさん | 2009年5月22日 (金) 11時54分

くまさん様
ようこそおいでくださいました♪
そして過分なお褒めの言葉有難うございます。
ブログはこのような訪問を頂けるのが最大の楽しみですね。

絵は何も天才と云われる画家の絵を好きと思わなくてはならないものでもありません。ピカソの膨大な作品の中でも、好きと感じるものとそう思わないものとがあります。あくまで個人の心で自由に感じてもいいのではと思います。絵でも音楽でも柔軟な気持ちが観る、聴く力を育むのだと思います。

そうですか。モーツアルトは〔努力家〕と言われることを欲したんですね。おそらく〔天才〕と言われることに飽きてしまったのかもしれません^^あるいは人知れずの努力を誰にも認められなかったことが不満だったかもしれませんね。努力のない天才なんてありえないと言いますから。。。または努力の人には先に輝ける青空が、天才と呼ばれる自分には澱んだ空虚しかないと感じたんでしょうか。。。

とかく人間というものは与えられたものに満足しないように出来ているようですね^^
野心〔良し悪しは別〕も向上心もそこから生まれるのではないでしょうか。


投稿: おキヨ | 2009年5月22日 (金) 20時56分

モーツァルトが天才と呼ばれることを嫌い[努力家]といわれるのを喜んだ理由についてですが、私はこのように推測しています。それは、彼が「天才」という言葉に含まれる非人間的な響きに耐えられなかったからではないかということです。というのは彼の伝記を読むと、幼少時代の彼は周囲の大人たちにいつもこう尋ねていたそうです。『ね、僕のこと好き? 僕の<音楽じゃなくて>僕のことが好き?』
大人たちがわざと「嫌いだよー」とからかうと、実に悲しそうな表情を浮かべたといいます。
私が彼の音楽に強く惹かれるのは、どの曲の中にも彼のこの人懐っこさを感じてしまうからです。事実彼はいつも聴き手が喜んでくれる曲を作ろうとこころがけていました。そして終生そのための努力を惜しまなかった大変な[努力家]であったと思っています。

投稿: くまさん | 2009年5月22日 (金) 22時56分

くまさん様
天才には孤高というイメージありますね。天才と言われ続ければ確かに非人間的なひびきを感じ取るかも知れませんね。
モーツアルトの映画をいくつか観ましたが、生涯旅の多い人生だったようですね。努力というか苦労は作曲よりむしろ生活環境の方にあった印象を受けます。

私はあまりクラシック音楽に詳しくはありませんがそれでもモーツアルトはよく耳にしているはずです。
それだけ多くの素晴しい曲を苦もなく作曲できたのですから紛れもない〔大天才〕といっていいでしょう。その上にもさらに人に愛される曲をと努力の人だったのですね。天才には努力はつきものということでしょうね。

投稿: おキヨ | 2009年5月23日 (土) 00時26分

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