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正月今昔

私は自分が幼かった頃の正月の風習を美しかったと今になってしみじみ思うのです。地方によって様式が異なっていたとは思うのですが、その頃の日本の正月は他の国に比べても質の良い風習行事ではなかったでしょうか。

我が家の話ですが、戦後、物資の乏しい頃でも新年を迎えるとなると、枕元に置かれた晴れ着を着て各自のお膳を前に座りました。普段は飯台という座の低い丸いテーブルで食事をしましたが、盆、正月と、我が家では火を扱う商売だったのでふいご祭りという行事があり、年3度はお膳で食事をしたものですが、幼いながらも新年にはあらたまった気持ちがひときわ感じられたのを覚えています。少女雑誌一冊を買えるだけのお年玉を貰っても3ヶ日はお店が休むので物を買いに外へ出ることはなく、正月はたいてい家の中で、またはせいぜい家の前で羽根突きなどで過しました。門には日章旗を掲げ門松を飾り、家の角々には魔よけの煮干や炭などをあしらったしめ飾りを巡らしました。

これだけの用意を何日も前から整えなければなりませんので、さぞ大変だと思うのですが当然のことと思えばなんでもなかったのかもしれません。子供も手伝う事があれば手伝ったしそれもまた楽しいものでした。

今は日本のお正月もだいぶ様変わりしました。日章旗も家の角のしめ飾りも、羽子板も凧揚げもあまり見ません。

しかし安心させられるのは初詣、神社へ年始のお参りです。老若男女どこの神社も初詣の人で賑やかなんですね。日本人はやはりどんな時代になっても神仏を大切にするという心を遺伝的に持っている民族なんでしょう。

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群馬 白倉神社前のお天狗様

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雑記」カテゴリの記事

コメント

snowおめでとう御座います。

今は100年に1度の不況などと騒いでいますが
昔はそんなに景気の良い家庭は一握りだったような
気がします。

そんな中でも倹しく着物を揃えたりしていたのを
懐かしく思い出します。

どんだけぇ…と言われそうなほど古めかしい話ですがhappy01

やはり。。。今は全体に派手になっているので
不況だと苦しく感じてしまうとおもったりします。

これが当たり前と。。。おキヨさんおっしゃる所の
美しい日本のしきたりが日本人の心のどこかにあるのが
素晴らしいと思ったりします。

投稿: sunday | 2010年1月 2日 (土) 17時20分

Sunday様
あけましておめでとうございますsun
時代は変わるもの、もう質素を美徳とした昔に戻れないのです。そういう私もテレビもパソコンもなくなったら困り果てると思います(ー_ー)!!
デモね、何もなかった時代を知っていたことはよかったなと思うんですよ。物が無くても人の心は今よりは豊かだったのは確かです。
物のために幼い子を預けて血相を変えて働かなければならないということは無かったから。〔個人のことではなく社会全体を云っているのです〕
みな貧しくてもたえず子供と一緒にいて自然な方法で人の道、作法を教えましたもの。。。

投稿: おキヨ | 2010年1月 3日 (日) 00時21分

明けましておめでとうございます。
なんかしまりのないお正月を迎えてます。
昔は朝起きた時から「さぁ、今日から新年!太陽の光だって新鮮でしょっ」と窓を開けたら、お日様に
言われてました(確かに言われた…)。
あの身の締まる感じは今ではすっかり消えて、テレビでも騒がしいお笑い番組ばかり。
昭和は遠くなりにけり、でしょうか(笑)。

投稿: バルおばさん | 2010年1月 3日 (日) 00時58分

バルおばさん様
あけましておめでとうございます!
ふふふ、ご安心あれ、しまりのなさはこちらが上!たった今そのグータラ振りを更新したばかりです。
お手本なり何なりにしてくださいませ~~smile

似たような番組が多いですねぇ。なんでしょうね。バカなテレビばかり観て育つ子供の将来が危ぶまれます。といっても世の中の好みなんだから私が歯軋りしてもねぇ。。。(#`Д´)

投稿: おキヨ | 2010年1月 3日 (日) 01時48分

おキヨさま、新年明けましておめでとうございます。

確か、私達の小学校の頃の元日の朝は登校日でしたねぇ・・全校児童一同が新年のお言葉を校長先生から
聞いて、「君が代」と「一月一日」の歌を斉唱して
紅白の饅頭を頂いて一目散に家に帰りましたよ・・

母が暮れあたりから縫って呉れた絣の綿入れの筒袖の様な防寒着を着て凧上げなどもした覚えがございます(笑)
平生母が呉れたお小遣いは十円、二十円だったけれど正月だけは板垣退助の赤いお札でした・・行き付けの駄菓子屋で、さてさて今日は何を買おうかしら
と随分と迷いましたねぇ・・・

投稿: 伊藤 | 2010年1月 3日 (日) 05時41分

伊藤様
あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。

そういえば紅白のお饅頭はしっかり覚えています。があれは元日でしたっけ!?頂いたものは明らかなのにそれ以外の記憶が定かではありません。これからよ~く記憶をたどります(^^ゞ
つっぽう袖の可愛らしいお姿が目に浮かびますよ♪私はもっと時代がさかのぼっていますから着物姿に藁沓が多かったです^^

板垣退助というと100円ですか!?大金です!時代の差を感じますね。私は30円ですよ。嬉しかったですねぇ。。。普段お小遣いと言うものがありませんでしたから。子供はお金を必要ないという時代でした。
私は迷わず雑誌〔小学生〕を買いに本屋へ走りました。


投稿: おキヨ | 2010年1月 3日 (日) 10時54分

happy01おキヨ様、こんにちは
 ふいご祭りにお膳でお祝いの御食事をされて、格調高いですね~時代物の美しい映画を観ているような...素敵なご家庭が偲ばれます。
そういえば日章旗も掲げる家が無くなったのか、見かけませんね、我が家もここ10年ほど出さなくなってしまって、忘れられた状態です(苦笑)

子供の頃、ご近所のたまに行くお宅に新年のご挨拶に行きますとお年玉を下さって、子供ながらに「このお宅の人は凄く気前がいいなぁ」と嬉しかったものです。小さな子供のいないお宅で何時行っても「上がって」と言われ、歓迎してくれたご近所さんを思うと、戦後の時代でも人の心はとても豊かだったのだな~とほのぼのします。その時のポチ袋の中身は
覚えていませんが、親から貰うお年玉が100円くらいだった?かも知れませんので、10円くらいが
入っていたでしょうかネ~「他人同士であっても粋な計らいをする」..そんな優しさを教えてくれたと有り難いです。

投稿: ミコちゃん | 2010年1月 3日 (日) 11時55分

ミコちゃん様
近所に我が家のような商売はなかったものですからふいご祭りはちょっと誇らしかったですね。ご近所の方にもお振る舞いをしましたから。。。昔はしきたりが重要でしたね。兄の時代になってふいご祭りをやらなくなったようで、家が傾きました。火の神の祟りかなcoldsweats02

東北全体か、私の住んでいた周りだけか解かりませんが他家から子供がお年玉を頂くという風習はありませんでした。今はそんなことはないとおもいます。ですから私のお年玉は父からの30円だけでしたよ。

子供に余計なものを持たせないという意味では徹底していましたね。貧しい地方の知恵なのかも。。。
飴やお菓子は頂きました。暮らしも心も素朴でしたのでお菓子でも嬉しさは同じでした。
お金の価値をよく知らなかったみたいですね^^

投稿: おキヨ | 2010年1月 3日 (日) 12時27分

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