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不幸を知らない不幸

以前新聞で、詩人谷川俊太郎さんが〔自分には母に愛されて育った恵まれた生い立ちにずっと引け目があった。他人の不幸に対し、自分にはそういう体験がない、感覚が及ばないという後めたさは終始一貫ある〕というような事を書かれていたのを読んだ事があります。

このことは私にもよく判る感情です。私は母の愛情を充分に受けて育ったとは云えませんが、そのこととて、母の愛情に応えなければならないと云う、重荷めいたものを回避できる気楽さがあり、また自分だけが愛されなかったいうことでもなかったので、自分の中では不幸にうちには入りませんでした。ですからこの年になるまで取り立てて自分を不幸と思える事柄がなかったといえるでしょう。。。私の周りには、幼い頃に父母を亡くし親戚の家で苦労をした人、我が子を事故で失った人、ご主人を長年にわたり看病を続けている人、酒乱の夫とやっと別れたかと思った途端に長年のストレスで病気になってしまった人、借金癖のある息子を持った人・・・上げたらきりのないほど不幸と呼べる状態にある方々を知っています。このような悲哀を背負った方は人生の深淵というものを知っているのです。知らない者と知っている者の差。。。谷川俊太郎さんの言われる、感覚が及ばないという負い目を、図らずも運命として不幸を知っってしまった方々に私も感じるのです。

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雑記」カテゴリの記事

コメント

うまくいえないのですが、「私は愛されずに育ったの、だから~なの」という人より、「私は愛されて育ちました、不幸知らずです」というひとの人生のほうに、惹かれます。ほんとうにうまくいえないのですが。不幸の有無だけで、人生ははかれません。お母さまに愛された谷川さんの詩だからこそ、人の心に響くんでしょうね。

投稿: ひかる | 2010年2月18日 (木) 01時40分

ひかる様

不幸とは主観的なものではないでしょうか。私は高齢の義母と夫の介護を長年看ていて、娘さんの病弱も不安という人を知っていますが、いつも冷静でその事態に惑わされずに立派な絵を描いています。彼女を不幸と云う見方は出来ないし、本人もそうは思っていないようです。

彼女に会うとき、この強い精神を自分は持ち合わせていないという漠然とした引け目をいつも感じます。

投稿: おキヨ | 2010年2月18日 (木) 13時00分

おキヨ様、こんばんは
 幸せにもいろいろなケースがあって様々のようですが、不幸はもっともっと様々なケースがあるようです。

理不尽なめに合いながらも、精神力のある人は地道な努力でその内報われる...そんな世の中であって欲しいですね

運命的なものがその人の幸、不幸に大きく拘ることがありますし、この世は大変複雑な人生があると思います。

おキヨ様の絵のお仲間の方、本当にご立派ですね、
毅然としてご自分の使命を果たされて、趣味も磨いていらっしゃるのですから。

ミコちゃんの友人、知人にもいろんな不幸を乗り越えて懸命に頑張っている方が多いですよ。

おキヨ様は根っから明るい女性ですので、途方にくれるほどの試練には遭われていらっしゃらないでしょう♪happy01

投稿: ミコちゃん | 2010年2月18日 (木) 20時02分

おっしゃるとおりですね。不幸はより主観的ですね。幸福も主観でありたいですね。昔はよく教科書にのせられた伊藤整の「青春について」を思い出します。”自分には青春がなかったからこそ、よけいに青春を強く感じる。それを欲する今もまた青春なんだ”と(原文ではない)。同じように”幸福ではなかった、だからこそ、よけいに幸福というものに意識し、それを意識できる今が幸福なんだ”といってみたいものです。

さて、漠然という引け目。よくわかります。私も自称「苦労知らず」ですので。親の離婚などに遭っても、なお、「苦労知らず」だと言っているのは、ある意味漠然とした引け目を感じておきたい、それを忘れたくないと思っているからかもしれません。苦労は買ってでもせよとはよくいったものですね。不幸にはなりたくないけれど、苦労はすべきですね。38歳だから、まだまだ苦労できるぞー(笑)。

支離滅裂でした。

投稿: ひかる | 2010年2月18日 (木) 23時06分

ミコちゃん様
私たちが勝手に人様を〔あのような人生は不幸〕といってはいけないような気もしますね。自分の身の上に起きた事を淡々として受け止める精神を学んだのですから本当の意味では不幸ではないのかも。。。むしろ何事も学べない凡庸な私の人生のほうが不幸という考え方もあります(ー_ー)!!
私は若い頃〔子供がなくてかわいそう。。。〕といわれた事がありますが、子供のないことを少しも不幸と思った事がないものですから、云われて戸惑いました。他人からみて〔不幸そう・・・〕と思うのは必ずしも当たっていない場合もありますよね。

谷川俊太郎さんの言われる〔不幸に対して感覚が及ばない〕ということから大きくずれてしまいましたcoldsweats01

投稿: おキヨ | 2010年2月18日 (木) 23時17分

ひかる様
そうです!幸、不幸は主観の問題です。

また身近なところで例をあげますね。

私の長姉は2人の子供に恵まれ、外から見ると幸せといえる生活をしていますが、幸福を感じる力が極端に弱いのです。自分を病弱と頑なに思い込み不幸を唱えながら人生を送っています。
郷にいる妹は20歳で盲目の義母、寝たきりの義父のいる家に大恋愛の末嫁ぎました。義父は数年して亡くなりましたが、盲目の義母は元気です。旅行も出来ない妹を一時〔かわいそうに・・・〕と思ったものですがそれは不遜というもので、妹はとても幸福な人生を送っていると3年前郷に帰り確信しました。

人は〔幸、不幸を感じる力〕に左右されるみたいですね。不幸に対して鈍感であり、些細な幸福にも喜びを見出せる人間でありたいものです。good

投稿: おキヨ | 2010年2月18日 (木) 23時57分

確かに同じ状況でも生き方の中の通過点ととる方と
その事が人生の中で大きくウェイトを占める方が
いますね。
私は長く生きてきても、辛い事は考えないという現実逃避型で、まだ煩悩の中を漂ってるようです。

投稿: バルおばさん | 2010年2月19日 (金) 00時03分

バルおばさん様

私の場合深く考えすぎない事が自分を幸福にする方法ですgood

しかしのんべんだらりと生きた人間はいつまでたっても重みが増すと云うことはないですね。人生の辛さを抱えている方に方に引け目を感じざるを得ないところです。

煩悩は生きている限りなくならないものでしょう?

投稿: おキヨ | 2010年2月19日 (金) 02時23分

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