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ケ・セラ・セラ

〔ケ・セラ・セラ〕はヒチコック映画〔知りすぎた男〕の挿入歌で日本でも大変流行りました。たった今見終わったところ。。。私の絵もいよいよ搬入期日が迫りもうあたふたしてもはじまらないので〔ケ・セラ・セラ〕の心境。。。

しかし、旧い映画を観る楽しみの一つに当時のファッションがあります。〔知りすぎた男〕で主演女優のドリス・ディーが着た膨らんだスカートがなんとも懐かしいものでした。

気がつけばもう5月。。。街路樹の花みづきが満開です。

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旧碓氷峠

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つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ドリス・デイが着ていた膨らんだスカート。あの頃のスカートの方が魅力的でしたね(笑)
ケ・セラ・セラというのは「人事を尽くして天命を待つ」人が言うことでしょう。そうなるとケ・セラ・セラも生きてきます。
おキヨさんも絵画に人事を尽くされたでしょうから、そう言えるのだと思いますよ。good

投稿: 矢嶋武弘 | 2010年4月28日 (水) 11時51分

矢嶋様

あの頃のファッションを身に付けたほうも懐かしいですし、ご覧になった男性方もそうではないでしょうかwink女性の優しさ女らしさが表現されたファッションでした。

私は確かに努力タイプですが、我ながら無駄が多いように思います〔苦笑〕誰とは云いませんが〔迷走型〕ですね。疲れてしまって終いにはどうでもいいや!のケ・セラ・セラですcoldsweats01

投稿: おキヨ | 2010年4月28日 (水) 12時31分

ヒッチ・コック監督はとても美女がお好きだったそうですね。
彼の作品に登場するヒロインは全て正統派、極め付きの美女ばかりでした。
それでも例外はあるもので、この作品のドリス・ディはどこにでもいそうな庶民的な俳優ですね。
「ケ・セラ・セラ」は日本では雪村いづみさんが歌い、それなりにヒットしましたね。
三人娘のころです。
ケ・セラ・セラは私の記憶に間違いがなければフランス語で”なるようにしかならない”というような意味らしいですね。
投げやりなようでいて、その実、身の処し方としては達人の域に達している言葉に思え、私は好きです。

投稿: 風花爺さん | 2010年4月28日 (水) 16時37分

風花爺さん様

手の届くところにより取り見どりの美女がいたとすれば巨匠も無関心というわけにはいかないと思いますが〔笑〕ただ美女のほうとしては偉大な人物の〔力〕は魅力でも男性としては無理があったでしょうね。けっこう振られた話題もありましたものheart03

一般的なアメリカ娘としか言いようのないドリス・ディーの容貌を主演女優に選んだのは確かに異例のような気がしますね。彼女は歌手、女優として当時けっこうな人気者でだったのであるいは興行効果目的?

私も〔努力した結果の運まかせ〕は好きですね。〔ケ・セラ・セラ〕言葉の響きも素敵ですnotes


投稿: おキヨ | 2010年4月28日 (水) 19時14分

画像の煉瓦造りの橋脚が実にいいじゃございませんか・・僕は、初め見た時、コレは水道橋かな?思ったんですけど調べてみれば鉄道橋なんですねぇ・・
しかも現在はこの橋の架かる鉄路も廃線となって橋の上は遊歩道になっているとか・・

しかしこんな高い処の遊歩道を歩いていて、風によって帽子でも飛ばされたらアウトですな(笑)


母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。

投稿: 伊藤 | 2010年4月29日 (木) 08時55分

伊藤様
この橋は今は紅葉時観光客のカメラスポットだけになってしまいました。バイパスが出来るまではヘアピンカーブのきついこの道を通って軽井沢へ行ったものです。私はこの峠が好きで時々通るのですが、2.3台の車に出会うだけです。寂しいかぎり。。。(;ω;)

西条八十のこの詩は森村誠一の〔人間の証明〕で脚光を浴びましたね。
私もご他聞に漏れず、この本から霧積温泉に興味が沸きミーハー根性で行って見ました。たどり着くまではどうしょうもない悪路の田舎道。詩人の手にかかると夢のような光景が浮かびますがね。
道のどんづまりに旧い温泉場が一軒、その奥にももう一軒あるようでしたが、当時は悪路で夫が〔もう勘弁してくれ!〕と拒否・・・〔爆〕
今はどうなっているか知りません。

〔人間の証明〕から切り離してこの詩を読むとしみじみと状景がうかびます。

投稿: おキヨ | 2010年4月29日 (木) 11時36分

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