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伯父の事

特に書く事のない時には思い出話になります^^

私の伯父〔母の兄〕は英語が堪能でした。

明治生まれで、田舎から一歩も外へ出た事のない無学の伯父が、なぜ英語が堪能であったかというと、戦後三沢基地に雑用係として雇われ、必要に迫られて覚えたからです。小柄で風采があがらず、口数の少ない人間で、人寄せがあったりしてもまるで存在感がなく、ただニコニコしているだけなのでまわりも特に気遣いもしない、そういう人でした。

三沢基地には戦後すぐに就職して、70才位まで約30年間勤めたようでした。雑用係という事ですから〔小使いさん〕のようなものでしょう。、伯父が60歳になった頃、基地内の日本人大幅解雇という事があって伯父も当然解雇になるはずだったのですが、意外な事に彼は基地内で大変重宝がられ〔パパさん〕というあだ名で慕われていて、〔パパさん〕の解雇反対の声でその後十年勤めました。

私の兄が伯父の息子である従弟と伯父の勤め先である三沢基地に見学に出かけ、別人のように活き活きとしている伯父をみてきて〔アメリカ人と同じ英語を話していた!〕と興奮気味で話した事がありました。(~o~)当時は英語にコンプレックスをがあった時代ですからなおさらです。

基地という特殊な場所が伯父の最も暮し易く、幸せな時を過した場所だったのは間違いないようでした。

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十和田  銚子大滝 

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コメント

面白い話ですね。
伯父さんは日本社会では目立たなくても、基地という特殊な所では水を得た魚のように生き生きとしていたわけです。
こういう人はかなりいますね。日本よりも外国の方が活躍しやすい人がいます。それと似ていますね。
日本社会で追い詰められれば、別の社会や外国で活躍するしかないでしょう。
なにか変な文章になってしまいました。失礼。

投稿: 矢嶋武弘 | 2010年7月24日 (土) 06時56分

「習うより慣れろ」「門前の小僧習わぬ経を読む」
という諺にも通じるお話でしょうか・・
ボクも一念発起して(ちょっと歳喰い過ぎてますけど)ニューヨーク辺りで2年ぐらいホームレスして暮らそかしら?(爆)
さすれば、英語詩の歌も流暢に歌える様になるかも
しんない。。。


投稿: 伊藤 | 2010年7月24日 (土) 07時27分

おキヨさん
思い出話は、ほのぼのしていて好いですね。
羨ましいほど、知的なイメージに弱い私などは、好いおじ様をお持ちだったのは良かったと思います。
どこのお宅でも、先祖たちの良かったころの話だけが申し伝えられていて、「かって、こんなことだったのよ」と、家系が隆盛していた頃の家柄のようなものに、埃を込めて話し告がれますが、実体験の中の話には説得力があって痛快です。
私の家庭でも、5代前の糸商をしていたらしい先祖が、どうしたことか二条城の祐筆をしていたとかで、俳句に傾倒し、さらに、勤皇派に組して家の財産を貢込んだため、貧困に苦しんだのだそうです。
問題はその後なのです。その貧苦から逃れるため、家訓があるのです。「詩を作るより田を作れ」と、祖父や父から何度も聞かされたのでした。その父も、数年前に他界しましたが、バイオリンを弾いたり、ダンスをしたりしていたのです。
因みに、家財をなくした俳人は「梅暦」と号していて、墓石にも「雪霜梅暦居士」とあります。
 私にもそんな遊び心がDNAで引継がれているのかも知れませんね。困ったことです。
書くことが無くなたので・・・。と言うところです。

投稿: 来住しげ樹 | 2010年7月24日 (土) 08時26分

矢嶋様
伊藤様
来住先生


私用で外出いたしますのでコメントレスが遅れます。
よろしくお願いいたします。

投稿: おキヨ | 2010年7月24日 (土) 10時56分

矢嶋様
終戦直後だと、ついこの前まで敵国だった人達と下で働き、給料を貰うわけですから本人も周囲も複雑だったのではないでしょうか。あるいはもっとさばさばした感情だったか。。。子供の私には知る由もなりませんね^^
しかし、はじめこそ大変だったかも知れませんが住めば都で、伯父にとっては基地は最良の場所だったに違いありません。

投稿: おキヨ | 2010年7月24日 (土) 19時09分

伊藤様
その通りだと思います。
私達は月謝を払って勉強して何もおぼえられなくて、伯父はお給料を貰いながら実社会で役立つ英語を難なく覚えたわけです〔苦笑〕

それそれ!必要な言葉はすぐに覚えるようですよ。
語学はその国で学ぶのが一番の近道らしいですね。

投稿: おキヨ | 2010年7月24日 (土) 19時20分

来住先生

伯父の話はまぁまぁ明るく出来る話でいいのですが、父の話になるとさすがの私でもここに書く事がためらわれるほど厳しいものでした。
しかし、昔はそれでも〔よくある話〕としてかたずけられました。

先生の御家系もいろいろおありのようですね^^
代々栄えた家系でもたった一人の風変わりな人間が出てしまうと没落という憂き目を見る事になります。祖父〔父の父〕がそういう人でした^^
明治~昭和初期当りまでは珍しいことではなかったようですね。
私もこの辺でやめておきましょう。。。(^-^;

投稿: おキヨ | 2010年7月24日 (土) 19時42分

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