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M先生

高校時代の担任だったM先生と卒業後お逢いしたのは、今から30年前の同窓会のとき。卒業後20数年ぶりにお目にかかるM先生はすこしもお変わりなく、小柄な身体をダークなスーツに包んだ控えめな容子も当時のままでした。

会もたけなわの頃、M先生はつと私の傍にいらして〔貴女には申し訳ないことをしたとずっと思っていたのよ〕といわれるので〔何のことでしょう?〕というと〔進学のことでとうとうとうとう力になれなくて。。。〕私はびっくりしてしまいました。当時我が家は複雑な状態でした。それと、8人兄妹の一人である女の私を進学させる気など毛頭なかった父と、私の進路など気にも留めなかった留守がちの母に先生はどうする事も出来なかった事を20数年も気にとめていらしたのです。41人の生徒の中の一人だった私をこれほど気にかけていてくださっていたことに胸がいっぱいになりました。私はそのとき自分の希望した美術の勉強をしていましたので、ささやかながらも夢を捨てることなく生きている事を先生に伝え安心していただきました。

高齢の母親が健在で、頻繁に帰郷するKさんの話では、M先生は4年前に他界されたということです。

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雑記」カテゴリの記事

コメント

先生の目を盗んだつもりでワルサをしても不思議なことにたいてい見つかりますね。
背中に目がついているのかな、と思わされます。
ところが、先生には先ず物理的に生徒の動きが良く見えるものだな、いうことを教育実習したときに学びました。
教壇からは生徒を見下ろす位置関係になるので、視野がとても広くなるのですね。
もう一つは「心の目」で、教え子のことを絶えず観察しているのではないでしょうか。
観察されている生徒の知らないところで・・・。
昔はそのような先生が多かったのではないでしょうか。
しかも何年にも渡り、入れ替わっていく生徒と次々に接触していくのですから、その記憶の埋蔵量は膨大なものになるでしょうね。
げに、先生、教師は「尊く、仰ぐ」存在だと思わされる、おキヨさんのエピソードです。

投稿: 風花爺さん | 2010年7月 9日 (金) 17時38分

風花爺さん様

今も昔も生徒の数は似たようなものでしょうが、どうして一人でそれほど目が届く教育の仕方ができたのかと不思議な気がします。生徒の家庭の事情や性格なども把握して、それがあたりまえというのが、当時の教育者の考え方だったのですね。私などは期待に添えない生徒でしたのに。。。
教育者という立場を退いて数十年してもさらに自分は至らなかったとおっしゃるのです。
頭が下がりました。

当時の先生の全部が素晴しい教育者だったとは云えないかも知れませんが、M先生の他にも、今思い出しても心にしみる言葉をかけていただいた先生のお顔を忘れられません。
ならば連絡でもすれば喜んでいただけたものを、そういうことも出来ないまま先生方は別の世界に行ってしまわれました。

投稿: おキヨ | 2010年7月 9日 (金) 19時25分

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