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辛らつだった開高健の話

作家〔南木佳士特別な親愛感を持って本を読むのは〔ダイヤモンドダスト〕で芥川賞を受賞、一躍有名作家となったとき、作家が、私がいつも佐久の画友を訪ねるときに通る、あの田舎臭い病院の内科医師という、単純な理由から。。。^^ゞ

南木佳士の短編集で、当時芥川賞の選考委員だった〔開高健〕に触れていますが、開高健は誰に対しても批評が激辛ともいえる辛らつさで、受賞作家にさえも〔取材メモに一本毛が生えたようなもの・・・〕とか〔主婦の作文の域を出ていない〕などというようなことをいうので、当時、芥川賞をとるには開高健の高いハードルを越えなければということがあったそうです。

ヘェ~、知りませんでしたね。あの大らかな体躯で魚釣りをしてからのほうが有名になっちゃった作家が、そんな人だったとは。。。小説が書きたくないばかりに魚釣りを始めたという話もある作家ですよ。。。

しかし、激辛の開高健が生きていたら、はたして芥川賞受賞になっただろうかというような作品が多く、開高健が消えた芥川賞には急速に興味が失せたとも書いてあります。〔これはわかるます!〕

文学、芸術の世界ではそういう人物が憎まれ役で幅を利かせていないと格調高い作品が世に出にくいということでしょうね。。。

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開高健

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コメント

話がちょっとズレて申し訳無いのですが

石原慎太郎氏の「太陽の季節」が芥川賞に選ばれた時の選考委員の一人が佐藤春夫だったそうであります、彼の論評は以下の通りであります。


「反倫理的なのは必ずも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸として最も低級なものと見ている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者のものではないと思ったし、またこの作品から作者の美的節度の欠如を見て最も嫌悪を禁じ得なかった。」「僕はまたしても小谷剛を世に送るのかとその経過を傍観しながらも、これに感心したとあっては恥しいから僕は選者でもこの当選には連帯責任は負わないよと念を押し宣言して置いた。」

後々、この酷評に対して、石原慎太郎曰く「あのオヤジさんだって、人の嫁さんを寝取っているじゃないか、そんな人が倫理とか何とか云うのは可笑しいのじゃないの?」

ボクは空いた口が塞がらなかったけど「まぁ、この人の云いそうな事だ」と思いましたよ。(冷笑)

投稿: 伊藤 | 2010年8月29日 (日) 02時35分

おキヨさん
伊藤さんのコメントも含めて、面白く読ませて頂きました。
高校を卒業して、街を出るまでに、初めて受験勉強以外の小説の読み方を探った時の「芥川賞」だったのです。 ただ、単純に、こんな面白い小説があるのか。と読書を受験のための道具としてしか知らない私は、ショックを受けた「小説」だったのです。
どう世代の大江健三郎や阿部公房などは、受験時代に「小説を小説」として読む環境を既に持っていたのです。
田舎ものの私などは、幼かったのでしょうか、「源氏」だって「平家物語」だってみんな古文の勉強と言う観点でした。辛うじて「枕草子」「徒然草」ょ高校の文芸誌「斑猫」に、英訳して載せようとした思い出があります。 思い上がった、直訳そのものの英訳です。 そんなものが何となくかっこいい行為として自分で思っていたのでしょうね。
その後「文学界」「群像」「新潮」の3文芸誌を定期購読したのもこの小説のおかげだったのかもしれません。
爾後、純文学のカテゴリーの中で、文学とは何かを、時代の流れを読むことを、「芥川賞」に判断の指針とし読み繋いできたように思います。
ただ、最近の小説は、はたして文学かと思うことが多くなりました。
私自身が、すっかり時代から取り残された残滓になってしまったのかもしれません。
去年4月まで「毎日新聞」兵庫版でコラムを連載しましたが、横尾忠則さんの「ブルーランド」を、幻想小説として位置づけて読んでみたことを書いてみました。その小説が「泉鏡花賞」になりました。
  まだまだ、アナクロになりきっていないのだと自分を慰めたのです。
  開高健「オーパ」などは、写真も短文も面白いのです。  なんと言っても、野生そのものを追う中に、人間の野生を見るようで、その大切ささえ気付かせてもらったように思います。
  その開高健が他界した病院に、息子が研修していたときに、人柄を論じたものでした。

投稿: 風の樹人 | 2010年8月29日 (日) 07時21分

伊藤様
そうそう、石原さんが佐藤春夫の批評に反論したしたこの言葉は有名です。一発打たれたら2発で返すタイプですね(~o~)〔太陽の季節〕が時代の線をくっきりとさせた象徴的な作品で、佐藤春夫と石原慎太郎では所詮かみ合うべき人間ではないのです。

私の学校では〔太陽の季節〕を読ではならぬという禁止令がでて私はならぬといわれた本をぜひ読みたかったので読みましたよ。ただ大人になってから当時の石原作品を読んで、私は佐藤春夫が酷評した意味がわかりました。あのセンセーショナルなデビューは時代が加担したもので、純粋に文学として読んだ場合佐藤春夫の意見のほうがしっくりしますね。
その後の石原作品は読んでいませんから判りませんが。。。

投稿: おキヨ | 2010年8月29日 (日) 11時40分

風の樹人様
〔太陽の季節〕は当時読書をしない人でも興味本位で騒がれました。世の中に挑戦状をたたきつけたような鮮烈さがありましたね。私もあの時代作家は今でも好きで読んでいます。あの時代の作家達は風格があり洒脱さにおいても品を保っていて読んで安心感がありました。私は今でも新しい作家の本を買うとき必ず当時の作家の本を抱き合わせのように買ってきます。〔口直し〕になる場合もありますので。。。^^
厳密に云うと、好き嫌いであり、時代だと思うのです。つまり時代についていけないのでしょう。

横尾忠則さんの〔ブルーランド〕は知りませんでした。また読んでみたい本を知らせていただき有難うございます!

開高健は前期の作品を何冊か読んでいますが、有名な〔オーパ〕などは読んでいません。
才能豊な作家と作家仲間に云われた人ですから、若くしてなくなってしまったのは勿体ないことです。


投稿: おキヨ | 2010年8月29日 (日) 12時05分

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