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鴎外の娘婿

なんでもないことが楽しいようでなくてはいけない〕これは森鴎外の娘、杏奴さんが〔晩年の父〕と言う作品に書いてあって鴎外はものを片付けたり埃のつもった本を羽のようなもので丹念に払っているときなど実に楽しそうにしていたということです。

なんでもないことを楽しむ。。。年を取ると漠然とそういう心境になってきますが、これが鴎外の言葉となるとあらためて深い意味を感じます。

その杏奴さんの夫小堀四郎の話になります。小堀四郎は才能豊な画家でしたが、野心渦巻く画壇を離れひっそりと無名に徹したそうです。藤島武二に師事し、同期には小磯良平、荻須高徳 牛島憲之など日本画壇を代表する画家達がいます。小堀四郎の作品をあまり見かけないのは、作品を売らず無名に徹した事にあったようです。画壇を離れ、精神的自由のおかげで他人の動向や情報に無縁であり、自己の内から発する動機で描き続けた日本近代には稀有な画家です。栄誉、名声という世の迷妄からも自由でいることができたのもそのためということです。

画壇というところは昔から高潔な精神の持ち主には住みにくいところのようで、優れた才能を持ちながら、画壇を離れた画家は意外と多いのです。俗世を嫌い奄美に暮らした日本画家田中一村もそうですが、彼は亡き後有名になりました。信州安曇野で良寛さんのように暮らした奥田郁太郎も才能豊な画家でしたがこちらはほとんど無名に終わっています。

才能のほどはさておいて野心家ばかりが目立つ画壇に批判的な目をもっている芥川喜好氏の〔時の余白〕、いつもながら興味深い話題、エピソードが書かれていて、私の好きなコーナーです。〔読売新聞 10月30日付け 時の余白に引用〕。

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日々のつぶやき」カテゴリの記事

コメント

絵は何のために描くのか?というところから始めないと、いやそれでも容易には答えが出ない問題ではないでしょうか。
他人の絵に無関心で自分の絵に対する批評にも関心がなくて、いい(といわれる)絵が描けるものか。絵心のまったくない私の理解を超えていますが、興味はあります。

投稿: 周坊 | 2010年11月17日 (水) 16時47分

周坊様
そうなんですね。
普通、描いたからには観てもらう、というのが当たり前なんです。人様に観てもらい評価してもらうには上達しなければならないし、上達には際限がありません。このプロセスのどこかで人は個々にその奥に〔あるもの〕を求めるのではと思うのです。それが芸術家なのでしょう。。。


私などは寄らば大樹の陰で、団体に属していますが
あまり意味がないですね。いい絵を描ける様になれば自ずから意味ができてくるとおもうのですが。。。

投稿: おキヨ | 2010年11月17日 (水) 19時17分

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