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笑いの今昔

先日のY新聞に、90歳になられた作家の阿川弘之さんが〔どのチャンネルも、お笑いタレントが馬鹿笑いをしていて、はしたない言葉や生活態度の親から子供が育つとき、日本のいい文化伝統がどう衰えるのかが気になります。〔もののあわれ〕とか〔人の情け〕とか大切だと思うけれど。。。〕 という記事がありました。

若い人たちはあの笑いにどっぷりと浸かって麻痺してしまい、なぜえげつないかも、下品なのかも、人間形成上、教養上 問題ではないかということにも気づかないのです。

今の時代の笑いやユーモアーに節度というものが感じられません。ものを知らなければ笑えない、其処には人情もあるし、涙もあるというのが日本人の伝統的な笑い〔落語〕でしたが、時代は安易な馬鹿笑いのほうに軍配が上がっているようです。

私はテレビのお笑いを楽しめたのは〔クレイジー・キャッツ〕までですね。その後のお笑いグループはえげつなくて言葉も汚くとても見る気になどなりませんでした。今の若い人たちはあのお笑いグループで育ったんですよね。阿川弘之さんの嘆くお気持ち判ります。

こういうことを書くとすぐにジェネレーションギャップとか云われそう。別にいいけど。。。

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日々のつぶやき」カテゴリの記事

コメント

阿川弘之さんの見方に全面的に賛成です。
大宅壮一が「一億総白痴化」を嘆いてからもう何十年、事態は少しも良くなっていません。
とにかくあのゴールデンタイムに氾濫するバカ笑いはユーモアとは程遠いしろものです。
TV局と制作者とスポンサーの利害が一致することでの合作ですが、一番の問題は安い制作費で、視聴率が稼げるところにあります。
ということはそれを見ている人が多いということにほかなりません。
中には食事しながらただ付けっぱなしにしている視聴者もいて、スポンサーが期待するような訴求効果が出ていない、というケースもあるでしょうが・・・。
一方、高齢者が楽しみにしている、ということもあるのでしょうから、一概に”あんな愚劣な番組など止めてしまえ”とも言い切れません。
試されているのは視聴者の番組にたいする選択眼でしょうね。
「選択と集中」がバカ笑い番組追放のキーワードでしょうが、正直に言って期待できません。

投稿: 風花爺さん | 2011年1月13日 (木) 09時46分

いぇい!
さすがおきよ姉さま、常々小爺の思っていることを理路整然と書いていただきました。
笑い声が絶えないのは茶の間じゃなくてTV画面の中、ひどいときは20秒ごとに出演者が笑ってます。

見てるやつらはそれに釣られて笑って盛り上がってるつもりになってる。

小爺はしらけてブツブツブツブツ・・・・・。
「うるせぇな、あっち行け」っていわれてます。

投稿: 小爺 | 2011年1月13日 (木) 11時17分

風花爺さん様
思えば大宅壮一氏の〔一億総白痴化〕という言葉が大流行になった時代、私は20代前後でしたが、テレビやその他の遊びに現を抜かしていた真っ最中でした。大宅さん以外の文化人もテレビの俗化現象をずいぶん嘆いていたと記憶しています。
時代はめぐる。。。その私がこうしてそちら側に回って嘆いているのですから、急加速のテレビ低俗化は末期状態といえるではないでしょうか。お笑い番組の視聴率が高いということはそういうことですものね。
若い人たちはデジタル面では優秀ですが、考える力 情緒面などでは著しく劣っているという指摘を新聞などで目にします。テレビの影響もその一端を担っているのは否めませんね。

確かに人の楽しみ方は様々ですが、少なくとも脳の成長期にある子供達に質の良いものを吸収させるという親が必要ではないでしょうか。
阿川さんはこれからの世代を育てる親の方をを心配されているようですね。


投稿: おキヨ | 2011年1月13日 (木) 11時57分

小爺様
イェイ!scissors
〔おぬし、パクッたな!〕と文句を言われるかと思いました〔爆〕はい、ヒントを頂きました。m(__)m

やはり、視聴率獲得で必死なんでしょうか。よりくだらない方に軍配が上がるとか。。。

収録されたものでしょうから、チャンネルを回すと金太郎飴じゃないけど同じ顔が出るときがありますね。〔観もしないのに文句たれるんじゃねぇ!!〕とお笑いファンにいわれそうですが、ひな壇に座って大口あいて笑っていることが仕事の人たちを観たって・・・ねぇ。。。eye

投稿: おキヨ | 2011年1月13日 (木) 12時13分

おキヨさん
 同感です。
 テレビだって好い番組が沢山ありますね。
 2-3日前にNHKで、若者たちが、貧困にあえぐケニヤやバングラデッシュで活動するNPOの活動の中に、宮田久也君という青年が紹介されていました。
 私の親友の書家のご子息なのです。
 その青年が、年末にアトリエにやってきてくれたのです。 凄い活動でしたし、その活動は、私などが手の届くようなものでなかったことに尊敬すら憶えたのでした。
 愚息の子供、つまり孫が6年生になります。彼は、個展落語ばかり聞いています。それが好いかどうかは判りませんが、生活が子供の世界を作るとも思うのです。

投稿: 風の樹人 | 2011年1月13日 (木) 17時51分

風の樹人様
貴ブログにお名前が登場されているか方ですね。日本でも多くのお若い方が世界に出て活躍されていますね。それはやはり〔培われた精神〕だと思うのです。

先生のお孫様も成長されて、世界で活躍されるお一人となってほしいですね。

反面悩ましいのは、学校などでテレビなどによく通じていないと仲間はずれやいじめに合うということも聞きます。親が見せたくない番組でも、人気番組を知らないと子供がいじめを受ける恐れがあるとすれば親は見せてしまうと云うこともあると思います。

投稿: おキヨ | 2011年1月13日 (木) 19時04分

 マスメディア、特にテレビは日本の文化の一翼を担っていることを少しは自覚して欲しいものです。
 落語や漫才は多少下劣なものもあるけれども、芸は芸です。
 しかしあの馬鹿笑いには、芸のゲの字もない。殆んどが誰かの失敗談とか噂話をねたにして、笑い合ってるに過ぎない。
 一応立派な仕事をしている俳優なんかが顔を連ねていると、なんで出演を断らないんだ!と腹が立ちます。

投稿: 周坊 | 2011年1月13日 (木) 20時37分

英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっていれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしがなりたたない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境がととのはないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。

「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

日本人は、国連中心主義が好きなようだ。
国連の議場で世界の人々を説得するためには、自己の言葉が冴えわたる必要がある。
議論のできない人があえて国連中心主義を唱えるのは、自己の他力本願を表明するための手段ということになるのであろうか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2011年1月13日 (木) 20時57分

周坊様
テレビがここまで俗化すると、急な方向転換は難しいでしょうね。テレビ局も会社の死活問題ですので視聴率が欲しいでしょう。つまり若い世代の多くが望む事を企画しているのでしょうから、視野を広げて考える余地がないのではと思うのです。

ちゃんとした俳優といっても客商売。要望に応じていれば無難という事ではないでしょうか。それも視聴率だとおもいます。

投稿: おキヨ | 2011年1月13日 (木) 21時03分

こんばんわ
最近20代の若い人たちとお話しましたが、やはり最近のテレビは「つまらない」と言ってました。
タレントの世間話や食べてるシーンなどほとんど興味がわきません・・。
BSの映画や街歩きの番組のほうが見所がありますね。
「ひまわり」を録画してたので今から見ようと^^
イタリア映画は家具やファッションもすてきで見る楽しみがありますね♪

投稿: エメ | 2011年1月13日 (木) 22時28分

noga様
拙ブログには過ぎた長文のコメント有難うございました。

投稿: おキヨ | 2011年1月14日 (金) 00時00分

エメ様
若い方のすべてが今のお笑い番組を楽しいと思っていないでしょうし、私のような高齢者だって苦々しく思っている人ばかりとは限らないと思います。
私が単純に不思議に思うのは、何故同じ時間帯に、同じような顔つきのタレント達がひな壇に座って笑ってばかりいるんですかねぇ。。。
そう、そう、私もBSで他の国の紹介を見ています。それと旧い映画ねwink
私も外国映画はストーリーと共に家具インテリアに興味があります。

ひまわりお楽しみにねgood

投稿: おキヨ | 2011年1月14日 (金) 00時17分

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