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小野田寛郎さん

NHKアーカイブスで〔生き抜く 小野田寛郎〕という番組を深夜1時過ぎまで観ていました。私は1974年に小野田さんがルバング島から帰国され、その2年後ブラジルへ渡られた事は新聞等で知ってはいましたが、その人となりはほとんど知らずにいましたので、この番組である作家のインタビューに長時間にわたって答えた83歳〔現在は88歳〕の小野田さんを拝見し、現代の日本人が失ってしまった〔最も理想的な日本人〕なのではという思いに駆られました。

若い頃からまっすぐな精神は、特異な体験を経て現在に至った今でもそのまま持ち続けていられる高潔さにまず脱帽してしまいます。不必要に複雑な言い回しをしない語り口にも率直な人間性を物語っていて、インタビュアーはかなり聞きにくい質問もしていましたが、そのときの思いを端的に語り、私の時代のものとしてはその一言一言がすべて肯定できるものでした。かといって、四角四面の昔者というようではなく、柔和な笑顔が物語るように、充分に柔軟性を持った性格で、時代に合わせるすべも心得ているようでした。パソコンを駆使し、馬で牧場を駈け、農場で働く姿はとても80過ぎのご老人には見えません。

なるほど、あのような性格であれば、今の日本は2年居て見切りをつける気持ちになったのは判るような気がします。

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日々のつぶやき」カテゴリの記事

コメント

対談の中で「周りの人はよく私の事を、お気の毒でしたネ、と言って下さいますけど、私自身は特別私が気の毒であったとは思ってはおりません、私は内地に帰ったあくる日からでも働けましたからネ・・一番気の毒なのは戦地に於いて亡くなった兵士の皆さんです・・」このあたりがこの人の真骨頂の様に感じました、後は残念ながら店の客を送る為テレビから離れてしまいましたよ。

投稿: 伊藤 | 2011年3月 6日 (日) 04時34分

伊藤様
小野田さんがルバングのジャングルで29年間を過し、辛かったのは3年間だと言われていましたが、順応性にも人並み優れたものを持っていたのでしょう。そういう方がたったの2年で帰ってきた日本がジャングルより住み心地が悪かったと言う事になります。淡々と〔ブラジルで生活していると余計なことから遮断されますから。。。〕といったことで、日本社会から傷つけたれた様子がうかがわれました。
信念で生き延びた方には耐えられない中傷もあったと思いますね。

長生きしていただきたい一人です。

投稿: おキヨ | 2011年3月 6日 (日) 12時06分

しばらくご無沙汰いたしましたがずっと読ませていただいておりました。
今回の放映は残念ながら観ておりません。
小野田寛郎氏は信念を持った立派な軍人であったと尊敬はしています。
しかし、日中・太平洋戦争を肯定する立場のようですので、彼の信念については私とは考えを異にします。

投稿: 周坊 | 2011年3月 6日 (日) 15時08分

周坊様
お久しぶりです!いつもご覧頂いているとの事有難うございます。

〔日中 太平洋戦争を肯定する立場・・・〕そうなんですか!私は小野田さんのことは深く知りませんので、昨夜のインタビューのなかの答えだけで判断してしまいました。なかで〔戦争など誰が好き好んでやりものですか。みんな国のしたことです〕と戦争否定と受け取れる言葉を言われましたので、よもやそんなことはないと思いましたが。。。

私も戦前、戦後を生きた人のほとんどが思っているように太平洋戦争ほど愚かしい、悲惨だった戦争はないと思っています。

投稿: おキヨ | 2011年3月 6日 (日) 23時45分

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