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ブレーキのない車同様。。。

今回の福島原発事故で思ったのは、まるで〔ブレーキの無い車を運転しているようだ〕ということです。だって事故が起きて直ちに事故回避が出来ないどころか、事故が大きくなっていく一方じゃないですか。。。福島原発事故はとうとうレベル5となってしまいましたね。

危険なものを作りだすときに、万が一に供えた回避力、たとへは毒物だったら、解毒剤、車だったらブレーキというものを同時に作られるものと私は稚拙な頭で思っていたのですが、今回の事故で、そうではなかった、事故などあろう筈がない、100%に近い高い確率の〔安全〕という前提で、原発がこの地震大国の日本に、再処理工場などをあわせると69基所在するのです〔にわか仕込み〕

次々と起こる恐ろしい事故現場の映像を見せられ、いくら〔人体にたいした影響がない、冷静になれ〕といわれてもにわかに信じられますか?日頃発電所の恩恵にあずかり、それが当たり前のように感じてしまっているいる私たちに今回の事故は一石を投じたはずです。便利は事故の恐怖と隣り合わせということを知らしめました。

形あるものは未来永劫そのままであるということはありえないわけで、劣化や不測の事故など 何かが起こる、を想定し、安全処置がになって存在するのが正しいのではと思うのですが。。。

聞き伝えで知ったのですが、私の知人Wさんが事故現場で処理作業に当っているとのこと。命がけの仕事、Wさんのご無事を心から願っています。

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日々のつぶやき」カテゴリの記事

コメント

福島原発の深刻な危機は日本中に暗い影を落としています。
以下のことは私も全て俄か知識です。
今の事態は、車が緩い下り坂を下っているところで、ブレーキが故障してしまった状況です。
それではブレーキ(この場合は燃料棒を冷やすための水タンクに冷却水を送る電源)は何故故障してしまったのでしょうか。
津波が電源に冠水してしまったためです。
沿岸だったら津波対策は当然行っていただろうにどうして?
想定を超えた大津波が発生したのです。
その想定とは?
過去の事例に学んでそれなりの対策を講じていたのですが、このたびはそんな経験が役に立たない大規模な津波だったのです。
例えば「田老」ではチリ地震の経験から10mの防潮堤を構築していたのですが、それが全く無力でした。
被災者にはまことに痛ましいことですが、今回は人智を(或いは原発建設時の予算の)限界を超えた大災害になってしまいました。
一説によると、およそ千年前に同程度の規模の津波が発生しているそうです。

今進行中の事態は私たちに鋭く問題を突きつけています。
リスクを承知しながらも現在の快適な生活を維持するために原発を容認するか、生活の快適性を手放しても安全最優先で原発の廃止を求めるか、ということです。
現地の最前線では、危機の深刻化を食い止めるため、被曝という健康上のリスクを負いながら、必死に給水、或いは電源復活の作業に携わっている人がいます。
その方々にも身の安全を祈っている家族や、職場の同僚、友人たちがたくさんいるでしょう。
どうか、あなたが危険な使命を果たし、原発を、日本を救い、あなたを気遣っている人たちの腕の中に無事戻ってきてくれることを切に、切に祈っています。
おキヨ様~貴重なスペースをこんなことで長々使ってしまい申しわけありませんでした。

投稿: 風花爺さん | 2011年3月19日 (土) 10時27分

風花爺さん様
拙ブログにお時間を割いていただき有難うございました。言わんとするところを理路整然と補足していただきました^_^;
今回の天災で、自然のなせる業に人間の力はこの程度のものと云う事実を突きつけられました。人間は100%を考えると何も出来なくなるのではないでしょうか。言葉は悪いですがどこかで見切り発車というか楽天的発想と云うところがないと科学は発展しないんでしょうね。〔こんなはずではなかった!〕を繰り返しながら発展したのでしょう。。。私たちはそれでもすっかり〔快適〕に慣れてしまいもはやこれを手放す事が出来なくなってしまいました。

原発事故は天災が元で起こった人災と考えてもいいと思います。今後の大きな教訓にしなければなりませんね。
それにしても自然の驚異にはなすすべもなく大きな犠牲を受けてしまいました。日が経つにつれますます被害の大きさが広がるのはあきらかです。
今朝もニュースで膨大な救援物資が一箇所に山済みになり、被災者の元に届かない現実を知り苛立ちがつのりました。
何とか被災地の現状を少しでも緩和できるてだてはないものでしょうか。。。

昨日何かで読みましたが、原発事故に当たり〔今の日本人は、国のためにわが身を呈して戦うという心意気に欠ける。。。〕という主旨の記事を読みましたが、そんなことはない!私の知人は決死の覚悟で事故の処理にあたっていると聞きました。
見えない部分で決死の覚悟の方が大勢居るはずです。この方達がご無事である事を切に願ってやみません。。。

投稿: おキヨ | 2011年3月19日 (土) 11時23分

皆さん真剣に色々と考えていらっしゃると思います。私も考えました。
私達がエネルギーとして「原発」を選択した事実は否定できません。誰がどのような手続きで選んだかは定かに知りませんが、その恩恵を受け続けてきたことは間違いありません。安定的にエネルギーを供給し、経済成長の維持を確かなものにする方法として「原発」を選んだことは紛れもないことです。

一方「原発」政策を推進した国と電力会社はその安全性を保障はしないまでも、安全対策は十分だから心配には当たらないと説明したはずです。そうでなければ地元自治体が賛成するはずがありません。

問題は、地震と津波が本当に想定外であったかどうかです。地震は同程度の地震が最近でも時々発生しています。
大津波は、原発建屋が根こそぎ持っていかれたのであれば、確かに想定外でしょう。しかし、建屋は実にしっかりと立っています。あれだけしっかり立っているのですから、建屋の中にあった緊急時の「発電機」が津波のために故障したというのは納得いきません。発電機は、建屋でしっかり守られていたと思うのです。ただ水は浸入してきたでしょう。浸水だけで故障したとあれば想定外とは云えないのではないでしょうか。
素人のたわごとで申し訳在りませんでした。

投稿: 周坊 | 2011年3月19日 (土) 19時02分

周坊様
悲しい事にこういうことがないかぎり、人は考える事をしませんね。この大事故が起こっていろいろ考えさせられました。
原発反対を叫んだ人さえその恩恵に授かって当たり前に暮らしているのです。それは絶対な〔安全〕が前提のはずなのに〔絶対〕はありえないことをこの事故からおしえられました。同時にいかに人は危ういものに身を託して便利を貪っていたかも知りましたね。
人はあるところで楽天的でなければ生きていけないのではないでしょうか。この大津波は予想外だったと識者が口をそろへて言っていますね。聖書の中の大津波は聖書の中のものでじっさいに起こるのは想定しなかった。

今回の事故で人の驕りや馴れなど様々な事を考えさせられました。
それでも人はどっぷり文明の利器に浸かりもうこの便利を手放す事はできないのです。

投稿: おキヨ | 2011年3月20日 (日) 00時20分

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