« 罪深い過去の話 | トップページ | 帰省が億劫なわけ »

二束三文の絵、はたして?

Y新聞に〔私の観賞術〕というコーナーがあり、各分野の方の美術品の見方というのが載っています。今日は美術史家の千足伸行さんでした。省略しますが、〔複製には複製のインパクトがある。逆に本物にこだわりすぎると、美術体験は堅苦しいものになってしまう気がします。〕と書かれています。

わが意を得たりと頷いてしまいました。

私は骨董市が好きでたまに桐生で開かれる骨董祭りに出かけます。。。2年ほど前、骨董市に出かけたときに、陶器などと一緒に無造作に置かれた裸婦像があって、その巧みな筆さばきに思わず足を止めて眺めました。12号キャンバスで額の下に3万円の売値がついています。絵は梅原龍三郎を模倣したのがわかりますが、これだけの力作が3万円とは。。。画家は勉強の一環として洋画家最高峰の梅原龍三郎を真似たのかもしれませんが、力量はかなりのもので素人の域は超えています。何かの理由で、他の家具などと一緒に絵も骨董屋に売り払われたものとおもわれます。これが、美術年鑑誌に名を連ねている画家なら4,50万円は降らないだろうと思われました。

私達は絵を観るときにどうしてもそのネームバリューに傾いてしまいがちです。しかし、美術館によっては、展示されている有名画家の絵が全部が全部必ずしも良い絵とは限りません。力のつく前に描かれた絵がその名前だけで恭しく展示されているのもあるのです。。。それはそれで貴重な作品と認識して観るといいかもしれません。

複製だとか、贋作だとか、作者名にこだわらずに、絵そのものを楽しめる気持ちをもてたらそれでいいのではないかと思うのです。

Cocolog_oekaki_2009_08_25_00_19

2年前お絵かきツールで挑戦 フェルメール〔真珠の耳飾の少女〕

|

« 罪深い過去の話 | トップページ | 帰省が億劫なわけ »

日記」カテゴリの記事

コメント

おキヨさん
 かって梅原に心酔しきった頃がありました。
 小さな部屋に置かれたベッドで生活していた頃です。
 枕元に梅原の紫禁城を架けて寝ることが出来れば、と夢を観たものでした。
 外国の生活は、どんな家庭でも、本当に好きな絵や置物で満ちているようですね。 ちょうど食べ物焼き物を手に入れるような感覚なのでしょう。そこまで生活に密着しているのでしょう。
 わが国では、「本物かどうか」「著名である」「高額なものだ」が確認されると、蔵で保存する文化です。
 これも文化なのでしょうかね。
    同感です。
 今、私の家では、津高和一の和紙の作品が、押しピンで留めてある壁の部屋にペットが置いてあります。

投稿: 風の樹人 | 2011年8月 5日 (金) 08時33分

風の樹人様

洋画家といえば梅原龍三郎のその華やかな画風が日本中の画家を志す方を魅了しましたね。私も梅原は好きな画家でしたが、へそ曲がりの性格でライバルと言われた中川一政に熱を上げました。

たしかに。。。外国映画を観ていて、一般的な家庭でも壁という壁に絵を隙間なく掛けているのを見て日本人の感覚と大きく違うのを感じたものです。
現在でも日本人は絵を飾る、眺めるという生活には到っていませんね。他の文化は抵抗なく取り入れると云うのに。。。

世界で一番美術館動員数の多い国というのにこの矛盾はどう考えていいのか。。。

そうなんです。絵というものは壁に掛けて見るというより大事に押入れに保管している事が多いようです。私の身内でさえ拙作が押入れにありました。
〔撃沈!。。。〕

投稿: おキヨ | 2011年8月 5日 (金) 11時01分

絵心を持ち合わせていない私が限られた小さな空間に掲げているものは、安物の本物や、リトグラフを除けば、複製画ばかりです。
そして、それすらもままならないので、名画とされる絵画は画集の上で眺めているだけです。
それでもさしたる不足は感じないでいます。
そんな私ですから「絵画」について語ることなど、不遜の極み、と自覚しています。

投稿: 風花爺さん | 2011年8月 5日 (金) 11時11分

風花爺さん様
私よりは風花さんのほうがいいような気がします。私は自分の愚作を飾る以前は美術本からの切抜きを額に入れて飾っていました^_^;
〔喉から手が出るほど欲しい〕画家の絵は〔目が飛び出るほど高い〕ので到底手に入るものでありませんし、思っただけでも喉のも目にも悪いです。

そうなんです!生きる上で無くてもなんら痛痒を感じないのが芸術一般なんですね。。。
ですから私など身内から〔まぁだそんなことしているの?〕と冷笑されています。。。

投稿: おキヨ | 2011年8月 5日 (金) 12時19分

ブランドやらキャラクター商品の不法コピーが、なにかと話題になる昨今ならではの話題ってところでしょうか。 いわゆる「パクリ」というやつ。(この言葉、品がなくて私は大嫌いですが)
 
贋作を新作と偽って売りつけるまがい物/不法コピーと、模写とは別と想いますけれど。
今、(ニュース、評論などで)なんでもかんでもパクリという言葉で総括されがちな傾向がありますね。
批評する側に、そのものの価値を見極める力がないため、とにかく同列にパクリってことにして、安易に叩いてしまう・・・・そんな風潮を感じています。
 
なんだか、話題がズレたようでスイマセン。(^^ゞ

投稿: もとよし | 2011年8月 5日 (金) 12時33分

もとよし様
パクリの常習犯といえば〔あの国〕ですよね(~o~)
そこにプライドいう感情が入り込む隙など微塵もない実に堂々たるパクリ。。。あれには驚きですね。。。

今はどうか知りませんが、名画を模写するのは画学生にとって必須科目だったようですよ。

模写展と云うのも観たいものです。これこそ面白く観賞できるのではと思っています。
昨年ルーブルの展示品の複製を軽井沢の美術館で観ましたが、ルーブルまで行けない私充分に満足できるものでした。


投稿: おキヨ | 2011年8月 5日 (金) 12時58分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 罪深い過去の話 | トップページ | 帰省が億劫なわけ »