« 食卓の条件 | トップページ | 人はみなエゴイスト »

父のこと

昨日父のことに少しふれたので、ついでですかららもう少し書いてみます。

昔の父親というのは厳しくてあたりまえだった、とよく言われますが、私の父の場合は、それも度が過ぎていたきらいがあります。私は父親の歯を見せた笑顔を思い出すことが出来ません。自分なりに子供達に愛情を持っていたとは思いますが、子供達の方は、父親として尊敬の念はあったにせよ、〔愛情〕を感じていたかは疑問です。父と子たちの間に云うに言われない〔距離感〕がありました。

友達の父親と比較して、どうしてだろうと若い頃思ったものですが、父は我が子への愛情をどの様に表現していいのか知らなかったたのだと思うのです。

父は7歳で里子に出されたひとです。養母の、今の時代ならいじめとしか思われない厳しい〔しつけ〕に耐えて生きてきた人間で、優しい言葉の使い方を知らず、自分が養母によって叩き込まれた〔礼節〕をそのまま教えるだけがただ一つの子供たちへの愛情表現ではなかったかということが、私が大人になってから思ったことでした。このことはもちろん父から直に聞いたことではなく、父が亡くなった後母から聞いた話です。

父と子の間に笑顔の交流が皆無だった。。。父の厳しい生い立ちがそうさせたことに違いなく、残念に思うのは、54歳という若さで厳格だった父が他界したこと。

もう少し生きて、子供たちが大人の考えが出来、父に老いの兆しがみえるようになったのならまた違った局面があっただろうに、と思ったものです。。。

〔以前にも父のことを書いたことがありますので似通った文面だったらお許しを。。。〕

P1160684_480x319

春の小川♪

P1160685_480x319

P1160689_480x319

P1160697_480x319

|

« 食卓の条件 | トップページ | 人はみなエゴイスト »

日々のつぶやき」カテゴリの記事

コメント

うちの父は2年半前、89歳の誕生日の翌日に亡くなりました。父もほとんど笑わない人だったし、食事中に話すこともなかったし、母の料理をおいしいと言ったことはなかったです。夜なか背中が痛んでも、母に「さすれ」と命令こそすれ、母が「頼んでくれたらさすってあげる」と言っても絶対頼みませんでした。数年続いた透析生活の頃は母も気合が入っていたのか、それとも私が父の体調のことばかり気にしていたからか、父が亡くなってから急に母が老いこんだような気がします。

投稿: アワムラ | 2012年3月17日 (土) 03時06分

アワムラ様

お宅のお父様は大正生まれの方かと思いますが、明治、大正 昭和初期生まれの男性は多かれ少なかれそんなところがあったと思われます。それが普通だったんですね。

ということは我が家の父も別に生い立ちに関係なかったのでは?という気になりました。それが当時の父親像かもしれませんね。。。

お母様を労わってあげてください。

投稿: おキヨ | 2012年3月17日 (土) 11時49分

若くして亡くなられたことはとても残念で、
おっしゃられるように、もう少し長く生きておられれば、
おキヨさんら子供さん達との関係も、少し
変わったものになっていたのかもしれませんね。
だけど、お父様のただ一つの愛情表現の形を
今のおキヨさんが理解しておられることを、
お父様もきっと喜んでいらっしゃるのではないでしょうか。
私の父はありがたいことに今も健在ですが、
昔から、子供のやりたいように自由にさせてくれるほうでした。
そのため、私自身、ずっと若い頃はかなり自由奔放にし過ぎたな・・と
反省する点も多々ありますが、何より子供を信用して
くれていたのだろうと、今となっては感謝しています。

投稿: hanano | 2012年3月17日 (土) 17時45分

hanano様
そうなんです。兄達はともかく私以下娘たちははみな思慮分別のない時に父は逝ってしまいましたからね。
内心はどんなにさみしかっただろうと思うと今更ながらに胸が痛みます。
今の私より20歳も若い父が弟のように感じられてなりません。

hananoさんのお父様が貴女を自由にさせてくださったのは信頼に足るものを貴女がお持ちだからですよ。
ご両親の教育方針が間違っていないという自信とわが娘の資質に自信がおありだったのです。

投稿: おキヨ | 2012年3月18日 (日) 00時28分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 食卓の条件 | トップページ | 人はみなエゴイスト »