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悪意で描いたものではない・・・と思う

先日群馬県桐生市で開かれていた骨董市で、一瞬目を見張るような売り物を見つけました。地べたにブルーシートを敷いただけの出店に 梅原龍三郎 萬鉄五郎 熊谷守一 東山魁夷  寺内万次郎 など驚くような昭和の大画家たちの作品が売られているではありませんか。  価格は30~60万という中途半端なもの。〔本物なら数百万〕

熊谷守一の作品などは絵の中に特徴的なカタカナでクマガイモリカズとナイフで掘ってあります。  これらの絵は非常によくできてはいますが本物ではありません。なぜなら萬鉄五郎の〔寝ている人〕は北九州美術館蔵と書いてある画集が手元にあるし,キャンバスのサイズが違います。寺内万次郎の裸婦などは実際観ると絵、マチエールともに大変ボリュームがあるのですが、売られている絵はやや絵肌にボリュームが足らない感じを受けました。

これはおそらく昔の画学生が模写したものではないかと私は思うのです。模写は絵画の勉強の大事な過程のひとつです。それが骨董品販売に流れたもので、決して悪意で描かれた〔贋作〕というものではないと思います。

お金持ちがこれらの絵をまとめ買いし、部屋に飾っても本物ではないと承知しさえすれば決して恥ずかしい作品ではないと思うのですが、この考えいけませんか?

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熊谷守一 作品 〔売られていた模写らしき絵はたしか花だったような。。。〕

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絵画」カテゴリの記事

コメント

昔、小林秀雄の「ゴッホの手紙」という本が好きで何度も読みました。
小林秀雄は、上野の美術館で「鳥のむれ飛ぶ麦畑」の複製を観て衝撃を受けこの本を書いたとか。
出版して数年後アムステルダムで本物を観たけれども、「複製の感動の方が大きかった」と彼は言ったとか。
……私はなんだか訳がわからなくなりました…。

投稿: 粉雪 | 2013年5月16日 (木) 17時24分

模写大いに結構だと思います。
ルーブルでモナリザを観ましたが、日本で最初に観たモナリザの模写は本物以上の感動がありました。
知らないってそんなものかも?

投稿: | 2013年5月16日 (木) 20時41分

おキヨさん
 贋作でなくて、模写だというのはその場でわかりますよね。
 模写として販売していれば何の問題もありませんし、私たちだって、「画集」と言うコピー、しかも似ても似つかぬ画面を見ながら、作家の絵を想い起しているのですもの。
 値段が合えば、私も欲しい作品群だったと思います。  ことに梅原龍三郎の絵などは、枕元に有ればと青年期には思いました。
  でも、この梅原を模写する能力なんてどうして獲得できるのでしょうか?  力任せや精緻の極みで描ける「絵」ではないと思いますのにね。
 本物の凄さは言うまでもありませんが、本物を大切にする事とは異なる次元。 同じ感慨を得ようとする手立てになればそれで十分です。

投稿: 風の樹人 | 2013年5月16日 (木) 22時29分

粉雪様
ゴッホが亡くなる直前に描いた絵ですね。
あの絵から何かを感じ取る方が多いようですね。私は画集でしか観たことがありませんが。

”複製のほうが感動が大きかった”
第一印象と云って、複製だろうが本物だろうが最初に観たもののほうに最も強い感動を受けると思います。

私は骨董市に並んでいる絵が本物ではないと判っていてもお金さえあれば買ったでしょう。作者が真摯な気持ちで描いたものだと判りましたから。

投稿: おキヨ | 2013年5月17日 (金) 01時43分

岳様

模写というのは自分の勉強の為以外の目的はないのです。昔の画家はみな経験していることですが今はあまりしないようですね。個性、個性の時代ですものね。

モナリザの本物、ご覧になったみなさんそうおっしゃいますねhappy01
そうそう、私も上野で観たような観なかったような。。。というのは長蛇の列でモナリザの前に立ったのがほんの数秒だったものですから。。。eye

投稿: おキヨ | 2013年5月17日 (金) 01時53分

風の樹人様

勉強のための真摯な気持ちで描いたものと、作為的なものとでは当然画品が異なるので解るでしょうね。

私は若い頃アンリ・ルソーをあまり好ましくはおもっちませんでしたが、上野で〔眠るジプシー女〕を観た時にその神秘性に胸を打たれました。なぜそれまでルソーに関心を払わなかったかと申せば、画集でしか観ていなかったからで、それからというもの多少無理をしても本物を観るようにしました。色彩の点でまるであてにならないのが画集ですものね。

模写をするには力量が要ります。
骨董市にあったのは私の目ではかなりの腕を持った画家の模写と思われました。

投稿: おキヨ | 2013年5月17日 (金) 02時23分

おキヨさま、「第一印象」…そうなのでしょうね。
上野の美術館にあった絵については「複製」という言葉しか使われていないのですが、まさかプリントではなく、優れた模写だったのでは…と想像しています。小林秀雄はその場にしゃがみこんでしまう程、感動したそうですから…。

お話は違いますが、古い名画が修復されて、描かれた当時の色調が蘇ったり、よく見えなくなっていた背景が現れたり……それは良いことなのかもしれませんが、私はなんとなくガッカリしてしまいます。長年その絵に抱いていたイメージが壊されるからでしょうか…。

投稿: 粉雪 | 2013年5月17日 (金) 12時18分

粉雪様

良い音楽、良い絵など素晴らしい芸術に出会うと感動で体が身動きできない事ってたしかにありますね。
私は今よく言われるアーチストという言葉をあまり好感を持てないのは、芸術家という同じ意味としてもアートという横文字になってしまうと、ユニーク、個性 面白さなどを連想し、もっと深いところで感動する、ということを連想がしにくくなるきがします。

やっぱり昭和の人間で現代アートを理解できないのでしょうね。

私も長い年代、歴史の潜ってきたものが、妙に新しくなったものに違和感を感じますね。美術品ばかりではなく歴史的な建物などが修復された直後は何となくがっかりします。
でも修復は必要ですものね。

投稿: おキヨ | 2013年5月18日 (土) 00時54分

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