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美術品の所有欲


先日新刊書の紹介の欄で読んだことですが、美術品が盗難に遭い、その都度莫大な身代金を要求されるのは美術品のオークションで、耳を疑いたくなるような天文学的価格で絵が取引されることと無関係ではない、ということです。

美術へのゆがんだ愛が美術への許しがたい暴力とつながっている。これは飽くなき人間の所有欲で、それが両者を結ぶ危険な糸に他ならない。。。  サンディ・ネアン著。。。面白そう。今度書店で探しましょう。 

私もたまに美術品のオークション光景をテレビで観るのですが、あんなべらぼうな値段がどうしてつくのかあきれてしまいます。お金持ちの所有欲が勝手に値を釣り上げるのですから、その絵に見合った正しい価格ではないのはたしかでしょう。

一方で、心打たれるような美しい絵が露店で二束三文で売られて居たりします。美術品、芸術品とは一体何なのだろうと考えさせられますね。

ついでに言えば、テレビでたまに観るなんとか鑑定団という番組で、名もない美術品が鑑定士によってこともなげに無価値と判定を下されるのには疑問を感じます。どの作品も魅力があるからこそ大事に保管されてきたものでしょう。鑑定団が下す2千円、3千円であるはずがない。。。

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中川一政 ゆり  欲しいなぁ。。。think

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絵画」カテゴリの記事

コメント

欲しい物があるpresent

素晴らしいです!
酒肴品は百人百色、その価値観も違いますね。
物欲が無くなったら夢も無くなりそうです。
今欲しいもの? 
足! 男は昔も今も現実的です。m(_ _)m

投稿: | 2013年5月18日 (土) 20時01分

物の価値(価格)が決まるメカニズムは分かりやすいですよね。
原価+利潤に需要と供給という市場要因が加われば落ち着くところへ収まるでしょう。
この世の中で一番難しいのは美術品の価格ではないでしょうか。
その作品は世界中でもたった一点しかない、という希少性はまあ分かりやすい価格形成要因でしょう。
そこから先、そのものが持つ芸術性となるときわめて曖昧な世界に入ります。
誰がどのようにしてその芸術性の高い、低いを判断するのでしょうか。
ある時期、高い評価を受けた作品がやがて忘れられるとか、その反対のケースも多く、絶対的な価値判断など果たして人間に可能なんでしょうか。
優れた芸術家という評価もそれほど信頼に足るものなのでしょうか?
偉い、とされている評論家が褒めたから、そうなんだろうという類のことから、偉大なる芸術家となっている例が歴史的にないのでしょうか?
今日、偉大な芸術家とか、人類共通の財産といわれるような作品は、歴史の試練に耐えてきているのですから、その評価は定まっていると考えても良いのでしょうが、それがお金に換算された場合は、病的な所有欲や、投機的要素がからみ、それが正当性を欠いた価格になる例も多いのではないでしょうか。
絵画などの芸術品の価格についての信頼性が、私には理解不能なのです。
そもそも私には決定的に審美眼が欠けているので、絵画の芸術性が読み解けないのです。
なぜその作品が傑作とされるのか、その理由がサッパリ分からず、人知れず情けなく思っています。
早い話がおキヨさんが欲しがる中川一政の「ゆり」についても所有欲は全然湧かないのです。
もし私の手元にあれば早速におキヨさんに進呈するのですが・・・残念です。
そんな私ですが「好きな絵、好きになれる絵」は何とか識別できています。
私のレベルはそこ止まりですね。
長い、自嘲のコメントになってしまいました。

投稿: 風花爺さん | 2013年5月18日 (土) 20時46分

岳様

欲しいものは好みの絵・・・の先にお金ということになりますね〔爆〕
いやいや、若かったら欲しかったかもしれない絵ですが、もう物欲もうす~~くなってしまいました。明日死んでもおかしくない身、当然です。

足が欲しいのは私も同じ。〔こちら先天性股関節症〕
これは物欲と違いますね。元気な脚があったなら今の数倍は存分に生きられたでしょう。

投稿: おキヨ | 2013年5月19日 (日) 00時45分

風花爺さん様

歴史的な芸術家たちも創造の欲求のほか当然現実的な生活の糧でもあったわけで、収集家の財産を肥やすための芸術ではなかったはずです。芸術家たちが高い芸術作品を目指せば目指すほど、収集家を喜ばすことになるのですから、そうなると世の中すべて金銭に換算されることになり何か虚しい気分にされてしまいますね。
どれほど清い気持ちで創作された作品でものちにすべて金銭によって判断される。人間の飽くなき欲望がある限り延々続くことかもしれませんね。

一方人間は不完全ですから、まだまだ気づかない隠れた名品があるはずです。また絵画美術にも流行があり時代で持てはやされるもの、廃れてしまうものもあります。また、まったく脚光を浴びなかったものが収集家によって発掘され突然世に躍り出たりする場合もありますね。

そういう美術品の価値判断はすべて収集家という人達によって決定づけられるのでしょうか?判りませんねが、何か間違っているような気がしてなりません。

私も風花さん同様、芸術、美術品の価値判断が何処でどうなっているのか理解できず、その正当性を感じません。

願わくば風花さんが中川一政の絵を手にされる事!
そして、私が赤城の別荘を探り当て無事有難く頂戴できますように。。。(*^^)v

人の審美眼というのも正しい間違いというのがあるのでしょうか。天才的な審美眼の持ち主、ということもありましょうが、一般的には自分が培った範囲内での感じ方だと思います。

余談・・・一般美術誌などの批評家たちのなんといい加減な批評の多いこと。審美眼など微塵もありません。

投稿: おキヨ | 2013年5月19日 (日) 01時56分

確かに、ある種の美術品に付くとんでもない値段には
驚くばかりですね。
その物の本当の価値や本質とはかけ離れた、
別の次元で決められていることも多いのでしょう。
美しいもの、大切なもの、かけがえのないものほど、
値段をつけるのが難しく、また、つけられないように
最近は思えてしかたありません。

投稿: hanano | 2013年5月19日 (日) 14時09分

hanano様
美術品ってわけもなく高価格ですね。人の作り出す物で最も高価格なのは美術品でしょうね。
美術収集家が居るから美に俗〔お金〕がくっ付いてしまうし、それに伴い悪〔盗難〕を生み出すという仕組みになりませんか。

美術品といえばまず想像を絶する高価格が思い浮かびますよね。

投稿: おキヨ | 2013年5月20日 (月) 00時56分

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