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忠治の墓

昨日、群馬県太田市で開催されたジャズフェスティバルに行った帰り、国定町を通ったので、忠治の墓がある〔養寿寺〕へ寄ってみました。私は任侠ものの本や映画 ドラマをあまり観たことがないのですが、それでも隣県である群馬県人にとって日本一の侠客であった国定忠治の名前だけは知っていました。

忠治は強きをくじき弱きを助けるという、村人にとっては有難い存在で、農民を締め上げるばかりの役人よりはるかに頼りにされていたといいます。ただ、〔国定忠治は鬼より怖い、にっこり笑って人を切る〕と戯れ唄にされるくらい滅法剣に強いやくざだったようで、役人を切ったり、縄張り争いで他所の権力者を殺したりしてとうとう追われる身となります。 

大戸の関所で打ち首になった忠治の遺体の一部を生前一緒に暮らした女性がこっそりと村へ持ち帰り、養寿寺へ埋葬したということです。

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養寿寺

忠治がこの寺で勉強もしたとされています。

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忠治の墓 

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この供養塔は後年国定町の人達で建てられたようです。

長岡忠次郎というのが忠治の本名なんですね。。。

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忠治の遺品を観たかったのですが、あいにく管理者が留守でした。

4,5日前に〔島村の渡し〕をUPしましたが、この島村一帯を治めていた〔島村の伊三郎〕を切ったのが忠治。ゆえに、島村の住民が忠治の快く思っていなかったようで、近年になってやっと互いの子孫が和解したということです。

忠治の郷を通ったことで国定忠治にちょっと詳しくなりましたhappy01

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出来事」カテゴリの記事

コメント

わたくしめも忠治に少しくわしくなりました!(笑)
何と無く、架空の人物像でしたが、証拠物件を見せられると
実在の人物だったんだと、改めて認識しました。
子孫の方が、いらっしゃるのも、へ~~~と、言う感じ!
お芝居の登場人物は、実在の実感と繋がらない気がしていました。
物事を知る。
脳みその刺激に成って、ボケから一歩?さがれたような~ぁ!笑!

投稿: nono | 2013年7月 1日 (月) 06時31分

nono様

私の時代小説やドラマの人物が実在人物なのか架空なのかがあいまいなことがあります。
忠治の子孫というのは直系では無いのでは?ここらあたりもよく調べないと判りませんよね。

この地方にはいろいろな歴史的人物の遺跡がありますので歴史に造詣の深い方なら住むに面白いところだと思いますよ。good

投稿: おキヨ | 2013年7月 1日 (月) 11時37分

>……近年になってやっと互いの子孫が和解したということです。


この時、170年ぶりに和解したことが、新聞に載りましたね……。5、6年ほど前だったでしょうか。そんなに長いあいだ対立が続いていたのか…と、そういう世界に疎いので、もうビックリしたものです。

投稿: 粉雪 | 2013年7月 1日 (月) 11時48分

粉雪様

新聞に載りましたか!私は近くに居ながら知りませんでした。。。
島村というところでは芝居や映画でもてはやされた任侠劇のヒーロー国定忠治の話は誰も口にしなかったそうです。村ぐるみ忠治を恨んでいたのでしょうね。
江戸時代の恨みごとが平成に入って和解した。
めでたしめでたしですね。。。

投稿: おキヨ | 2013年7月 1日 (月) 12時09分

おキヨさん、こんにちは

赤城の山も今夜限り…
この名せりふ、橋幸夫が股旅者を歌った頃までが全盛で、以後はさっぱりですね。その頃は舞台演劇も多く、自然に口にしたものです。清水の次郎長などにも憧れたものです。


投稿: | 2013年7月 1日 (月) 18時09分

以前、100円ショップで気まぐれに買った浪曲のCDを聴いて、広沢虎造の語る国定忠治を知りました。 名月赤木山♪♪
史実とは異なる、お話しの世界とは承知の上で、上州を舞台にした侠客たち逃避行。
一時期大いにハマったものでした。(^ァ^)
 
国定町は、かつての国定村でしょうか。
ハデな観光施設などではなしに、遺品館が運営されているところが、如何にも忠治らしい気がします。(^ァ^)

投稿: もとよし | 2013年7月 2日 (火) 00時09分

岳様
こんばんは。

赤城の山も今宵限り・・・の名セリフで貴男は橋幸夫を 私は新国劇の辰巳柳太郎を思い出す。。。年の差歴然ですねcoldsweats01

あと〔男心に男が惚れて~♪〕東海林太郎の歌ですね。
清水の次郎長は明治まで生きて断髪写真が残っていますが、忠治は40代で死んだので写真はありませんね。

投稿: おキヨ | 2013年7月 2日 (火) 00時28分

もとよし様
歴史は多かれ少なかれ事実とは違うとおもいます。忠治も40代で中風になり捕まった時にはかなりみすぼらしかったようですよ。
新国劇や、歌、映画の世界では実にカッコいい国定忠治ですけどね。

国定町は元国定村つまり忠治の生まれ故郷です。思えば1、6~70年前、それほど大昔のことではなく、お寺さんの母屋なども当時のものではないかと思うのです。

観光地にはならない(なれない)静かな田舎ですよ。

投稿: おキヨ | 2013年7月 2日 (火) 00時46分

萩原朔太郎の詩に「国定忠治の墓」があって、詩集の付録にお墓の写真が載っています。なにしろ古い本なので、印刷も鮮明ではありませんし、囲いもまだ無い写真です。
「持っているとギャンブルにご利益がある」と言われて、墓石が削り取られるので、それを防ぐためにフェンスが設けられたのだとか…。
ギャンブラーに削られて、忠治の墓はこんなに丸い頭になったのでしょうか?

投稿: 粉雪 | 2013年7月 2日 (火) 12時55分

粉雪様
朔太郎は前橋から自転車で国定町にある養寿寺までわざわざ行ったんですねぇ。結構距離があると思いますけど。。。

〔見よ此処に無用の石 路傍の笹の風に吹かれて無頼の墓は立り〕

朔太郎は我が身と〔無用の石〕を同様に思ったのかもしれません。
私は親しみのある山川、町の名が出てくる萩原朔太郎の詩が好きですが、ちっとも覚えてないので、あらためて調べました。

そうなんです。墓石が字も定かでないほど丸くなっているのはギャンブラーが削って持って行っちゃうんですね。
子の墓ばかりではなく、大戸の関所近くにある忠治地蔵もやはり削られた跡があります。
ギャンブラーの他に忠治のファンも記念に削って持ち帰るそうですよ。

投稿: おキヨ | 2013年7月 3日 (水) 01時52分

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