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傾倒しすぎの危険性

ある日本画家の画集をみて何とも複雑な思いに駆られました。

画集には高名日本画家が愛弟子を高く評価した言葉が述べられていてうるわしい師弟関係が偲ばれます。 

画集に収まった作品の数々は画家がいかに師に傾倒しているかを如実に物語っており、師を仰ぎ見るあまりにその技術を、余すところなく受け継いでいる作品集です。その迷いのない姿は感動的でもありますが、複雑な心境にもさせられました。 

どれほど師に傾倒し技法を完全に受け継いだとしても、師と弟子は全く別の人格です。作品は見分けがつかぬほどとは残念ながら思えません。俗な言い方をすればやはり2番煎じを免れない。。。。 

尊敬する師にどこまでも忠実に従う姿勢は清く思うのですが、芸術的表現者としてなにか違うのではないかと。。。しかしまた、そういう考え方も自由の内ではないかと思ったりします。

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回りが雪で一見寒そうですが暖かい日差しでした♪

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絵画」カテゴリの記事

コメント

久しぶりに「出藍の誉れ」などという古めかしい諺を思い出しました。
たいていの場合、弟子は師の模倣から始まるのでしょう。
その上で師を超えられるかどうか、つまり「出藍」となるかどうかは、その弟子の志とか、才能とか、努力などにかかってくるのでしょうね。
先日、ある方の講演を聴きましたらこんなことを語っていました。
ある時期、串田孫一さんの文体を真似る、いわゆる亜流(エピゴーネン)が大勢いたが(私もその一人でした・・・)串田さんの感性は誰にも真似できなかった、と。
形はある程度似せることができても、似せられないものがあるんでしょうね。
しかし、それを見破る眼力がないと、本物と模倣との識別ができません。
多くの普通の人はその眼力を持ち合わせていないのですね。

投稿: 風花爺さん | 2014年2月28日 (金) 06時49分

おキヨさん
 日本画の世界は常に師弟関係で成り立っていて、現在のように「岩絵具」など新しい画材も使われていて、昔の表現・写実が基本と言う理念だけでは物足りない「日本画家」がたくさん生まれましたね。
 そんな中で陳腐ともいえる「模倣」ばかりに明け暮れていくことで、場合によれば成果が上がることがあるかも知れませんが、単なるイラストレーションに成って仕舞っている作品にも随分出会います。
 肝心なのは、(師)の美観や思想・経つ額などを写し取りながら自分を深め、さらにその上に何を加えるかを問うような「日本画家」にはほとんど見ることが出来ないのではないのでしょうか。

投稿: 風の樹人 | 2014年2月28日 (金) 07時47分

風の樹人様
大雑把な言い方をすれば、洋画日本画を問わず、まず模倣から入るのだと思います。他の芸術もおそらくそうでしょう。オリジナルティーが発揮されるのはその人次第でありその能力に寄るものでしょう。
芸術学校などでは早くからオリジナリティー、つまり才能を見出し伸ばす教育をするのでしょうが、卒業後さらなる向上心ゆえ〔野心?〕高名な師を求める場合も少なくないようです。
此処からは個人の考え次第なのでしょうね。
自分というものを取り戻すのは至難の業になるほど師に寄り添って疑問を持たない。師の影を踏まず、その後を延々ついてゆく。。。?
私ごときがいうのもなんですが、あきれるほど多いのが今の美術界ですね。。。

投稿: おキヨ | 2014年2月28日 (金) 11時12分

風花爺さん様
コメントレスが前後してしまい申し訳ありませんでした。

私は〔出藍の誉れ〕の例を少なからず知っています。
ある現代人気画家の一人である作家と弟子から大きく引き離されてしまった画家との清々しい交流のやり取りをまとめた本に感動したことがありました。

反面、優れた才能の弟子を凡庸な師が嫉妬する例も少なくありません。
師は弟子の1%の才能を見出してやる、それだけでいいのだと思うのですが、抱え込んでしまう人が多いんですね。まぁ、現実的な事情というのも少なからずあることでしょうが。。。
弟子になった人はあとは自分を磨く努力をしなければならないのですが、そのあたりからいろいろと複雑になってくるのでしょう。。。

文筆にしろ絵画にしろ、自己の表現ですから完全に他人を真似ることは出来ないのではないでしょうか。良くも悪くも自分が出るものと思います。

投稿: おキヨ | 2014年2月28日 (金) 11時36分

おキヨ様、こんばんは。 
 どの分野においても師匠の存在は大きいのですね。踏襲しつつ、独創性を出せればいいのでしょうが。そんな簡単なものではないのでしょうね。
 師弟関係と言えば、従属、嫉妬、相克、離反、敵対など負の言葉ばかり連想してしまうのは性格が悪いからでしょうか。翻って、心から信頼し尊敬できる師匠がいる人は幸せでしょうね。寛大な師匠に寄り添い自らを磨き勤しんで秀作に結実させる。要は師弟共、互いに人格者であることが、「出藍」を成しうるのでしょう。生意気言ってすみません。
 絵の上手な方に自己流です、と言われることが多いのですが、目指してる人や、私淑する画家は居るに違いありません。おキヨ様は自画像を描くつもりなどはございませんか。

投稿: 宵待ち草 | 2014年2月28日 (金) 23時19分

弟子は師の画風、技術に傾倒して弟子入りしたり教えを請うものですが、やがては師を超えて一人立ちし、独自の画風を確立していく道をたどるものですが、師の模倣で終わるもの、あるいは市を真似ながら師の画風に及ばず終わる者もいる・・ということでしょう。

作品を観ると、だれそれの影響、模倣が一見して分かりますが、一番困るのは我流で描いている者で、誰にも似てないのはいいが、作品の基礎がなってない作品。これは子供のいたずら描きと同じ。絵画にも最低の約束事があるものだが、それを無視して描きたいように描いている<塗り絵>というのもあるもの。
基礎は学校へ行かなくても、どこかで身につけたいものです。( ̄ー ̄)ニヤリ

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2014年2月28日 (金) 23時41分

宵待ち草様
こんばんは。

人は無で生まれてくるのですから、知識を教えてくれる人が必要だと思います。そういう意味では親も師でしょうね^^
好きな分野の技法を習得するには学ばなければならないので、〔先生〕に教えを乞うわけですが、芸術的なものの場合、どこまで先生に教わるのか、どういうふうに先生の教えを自分に散り込むのかが問題になると私は思うのです。
美術学校は卒業というのがあって否応なしに区切りがつきますが、巷の絵画教室というのは本人がその気にならなければ卒業がありません。
私の知っている例では20年も先生に教わりっぱなしという人もいるんですね。。。
つまり自分では何一つ勉強しない。。。
まぁ、これを云えばきりがないのでやめにします。
自画像は最も便利な勉強法ですから過去ずいぶん描いています^^

投稿: おキヨ | 2014年3月 1日 (土) 02時09分

根保孝栄・石塚邦男様
3月に入りこちらは随分春めいてきましたが、北海道はまだ寒いだろうな、貴方様はいかがお過ごしだろうかと思っていたところコメントを頂き驚いています。過去私にはこういう予知能力があると何度か冗談半分に拙ブログに書いていますが、あながち嘘ではないということが自分にも自身証明になりました^^

さて本題に。。。
師弟関係を追及すると難しい問題点が多々出てきますね。
日本洋画壇の巨匠 梅原龍三郎がルノアールに師事し師と仰ぐのですが、そこから脱皮し自己を表現するのに大変苦悩したことは知られています。
教わらなければよかった、というのではなく、その苦悩が巨匠を見事開花させたのだと考えられます。才能とはそういうものでしょうね。。。

私も貴方様と同じ考えです。才能云々は基礎を身に着けてからの話ですね。

投稿: おキヨ | 2014年3月 1日 (土) 02時33分

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