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〔名もなき道を〕を読む

昨年の夏、軽井沢追分の古本屋でみつけた高橋治の〔名もなき道を〕を読み終えました。

直木賞作家高橋治は1929年生まれ。旧いといわれそうですが私はやはりこの時代の作家が節度も品もあって安心して読めて好きです。 

大病院の息子である主人公が色盲であるため、医大に進むことが出来ず、この事を両親に隠し、司法試験を受けるがことごとく失敗。延々20回も司法試験を繰り返しながら、元々あった奇行も激しくなり変死してしまう。。。4校時代の恩師が主人公をめぐる友人たちを訪ね歩き話を聞くうち徐々に主人公姿が浮かび上がってくるという話です。 

主人公の孤独、誇り、 焦燥感。持っていきどころのない怒り寂寥感。また彼の為に何もできなかった級友たちもそれぞれ悩みます。切なく、余韻の残る作品でした。

高橋治の作品では他に〔風の盆恋唄〕が知られていますが、私が40代の頃読んだ美しい大人の恋愛〔風の盆恋唄〕  はその年代のもの。今は主人公の心理が解る〔名もなき道を〕のほうが好みですね。

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読書」カテゴリの記事

コメント

ご紹介の作品は未見ですが『風の盆恋唄』の方は読んでいます。
作品そのものより越中・八尾町の「風の盆」に長年、恋心を募らせているのです。
二百十日の台風による災厄を免れるための「風神鎮魂」として八尾町の人びとが捧げる踊り。
哀愁に満ち、優美にして幻想的。
編笠の間から僅かに覗く顔~どなたも飛びっきりの美女・・・に見えます。
そんな「町流し」を一度は見たい思いながらもう何年も過ぎています。
これが私の「恋唄」なんです。

投稿: 風花爺さん | 2014年2月11日 (火) 07時05分

おキヨさん
 お久しぶりです。 ブログに流れる深い感慨が、ペーソスを加えながら語り継がれる達文。
 いつも楽しんで読ませて頂いています。
 同じ年代のお二人の生活を、それこそ「風」のごとく過ごされている風景も、きっと簡潔で明快な毎日なのだと推察しているのです。
 比して、私どももそんな生活を目指しながら、昨年11月に輪禍にあって仕舞ったりして、いまだ変則的な日常を余儀なくされています。
 高橋治「風の盆恋歌」がいまだ憬れになっている小生など、俗世界に未練ありと言うことなのでしょうか。  9月1日から3日間の町を挙げて歌い・踊り空かす会場へ、友人たち4人で出かけたことが有りました。
 宿の窓辺を流れる小溝のせせらぎを期待して。
 そんなときめきを持ち続けたいものだと、先だっても知人たちと小さな声で誰もがそれぞれの想いで「風の盆」を語り合ったのです。 同道4人のうち2人が既に冥界に行ってしまっています。 淡として生き切ることの出来ない事態がこの齢になると取り巻いているのですね。
 湿っぽくなってしまいました。「田舎絵描き」を攻めて貫きたいと、今日も同名の新春の集いに出るつもりです。 神戸すら、もう遠いところに成ろうとしています。

投稿: 風の樹人 | 2014年2月11日 (火) 08時24分

〔名もなき道〕は読んでいませんので、寄せられたコメントと同様に「風の盆・・」が主題になってしまいますが、めったに出て来ない高橋治が原作と聞き、当時の風の盆を思い出しました。
コメントに寄せられている〔風花爺さん様〕と全く同じ様な心象を持ち・・・・その心象を満足させるため、否、満足するのかどうかも探りたいため、早速八尾の町を訪ねたのが、もう20数年も前になります。平家の落人の祭りが源流と言われる「風の盆」、小さな八尾の町に繰り広げられる神秘と幽玄な踊りは、現地の空気の中に入って見て初めて、自分の肌が感じるものでした。
高橋治版で言う、酔芙蓉に酔わされる大人の人間模様よりも、夜中に薄暗い神社の境内で静かに舞う・・・・遠い昔から語り継がれて来た雰囲気は、神秘そのものでした。 町中を煉り踊る、若い娘さん達の深編笠と揃いの意匠の舞は、年頃まで育てたわが娘を、檜舞台でお披露目をする親の気持ちが良く分かる仕来たりも含めての古くからの慣例である事が分かります。
伴奏の三線を弓で弾くマイナー調の調べに、不調和音とも思える出だしで張り上げる声が印象的でした・・・・。
もう20年以上も前の事になりますが、その時分から××観光のバスが列を成し、入り切れない駐車場を隣町に設けた臨時駐車場への往復する2車線の道路の往復そのものが駐車場の代わりをする状態でした。
今はどの様になっているのか想像もつきませんが、 >一度は見たいと思いながら何年も過ぎている「恋心」<の方がロマンなのかもしれません。

投稿: 仙人 | 2014年2月11日 (火) 11時05分

風花爺さん様

〔名もなき道を〕は〔風の盆歌〕より少し後に書かれたもののようですが私も当時は気が付きませんでした。30年も前の作品は書店には無いので古本屋はまさに宝探しですね。作家の名も忘れていたのにふとよみがえりいい作品を読むことが出来ました。

以前に夫の会社の保養所が富山の山田温泉にありましたので時々利用していたのにかかわらず、わずか数十分で行ける八尾の(風の盆祭り)はとうとう観ることなく終わりました。
普段の八尾はただの静かな田舎町。あの町が小説にしろ、祭りにしろあれだけ幻想的に変貌するさまに戸惑いさえ感じました。

投稿: おキヨ | 2014年2月11日 (火) 11時59分

風の樹人様

たしかにお互いコメントのやり取りは久しいですが貴ブログは習慣で拝見しております。
望まずして思いがけないことが起こり得るのが人生ですね。
アクシデントにより、先生の心の揺れも感じておりますが、それにもまして、芸術に対する強い信念の裏打ちがあることに心打たれています。
やはり仕事で癒されるのが画家としての本筋でしょうね。
八尾の町は私も数十年前に行ったことがありますが普段はどうということのない田舎町です。
会社の保養所を起点にいろんな場所を描いて歩きましたがもう出かけることのない遠い風景となってしまいました。
この年齢になってしまえば、お互い自分の内を見つめながら残された出来うることを貫くしかありませんね。。。

投稿: おキヨ | 2014年2月11日 (火) 12時25分

仙人様
図らずも同年代お三人の方のコメントを頂き、やはり通じ合うものがあるのだと思いました。

(風の盆恋唄)は大人の恋愛小説としてその描写力の美しさで評判を呼び、ドラマや歌にもなりました。
それにもまして、八尾の(終わら盆祭り)が脚光を浴びましたね。私が時々利用した富山山田温泉の保養所の主人が〔いや、恐ろしいほどの人出ですよ、脚がお弱そうなのでお出かけにならぬ方が。。。〕と云われたことを覚えております。
その後テレビで何度かおわら祭りを観て無理をしても観ておけばよかったと後悔しています。

明け方老年の男性が一人静かな家並を流して歩くあの幻想的な風景が目に残っています。
踊りの形も素晴らしい。。。お祭りなのにどうしてあのようにゆったりとどこか物悲しく静かなのか。。。日本人特有の、なにか心深いものを呼び起こすものがあるのでしょうね。
八尾で直接ご覧になられたよし、羨ましく思います。

投稿: おキヨ | 2014年2月11日 (火) 12時45分

おキヨ様、こんばんは。
実は昨日、高橋治からハガキが届きました。暮れに戴いた本のお礼をしたところ、丁寧に返信のハガキが来たのです。と言っても同姓同名の従兄で私より20ほど上の、ひ孫がいる爺ですが。高橋治氏が直木賞で脚光を浴びた頃、あれは俺だよ、住んでる所も同じ千葉だろ、などと言ってたのが、一族の忘年会だったと思います。
 八尾の町を全国区にしたのは紛れもなく、あの小説でした。テレビ特番、ドラマ、演歌にとスゴイものがありました。それもつまるところ原作の素晴らしさの証左でしょうか。
 今日はお歴々の諸先輩の抑制の効いた味わい深い文章を目の当たりにして、たじろぎました。類を以て集まる、と言うことでしょうね。
 そろそろ初メダルをと思いつつ、オリンピックからも目が離せません。おキヨ様は興味ありませんか?

投稿: 宵待ち草 | 2014年2月11日 (火) 22時15分

宵待ち草様
こんばんは。
1行目だけ騙されてしまいました^^
高橋治という名前はそこここらにあって不思議のない名前ですものね。私の旧い絵仲間に長谷川一夫という人がおりましたが、断然こちらのほうがインパクトがあるでしょう。といってもお若い貴方様にはなじみの薄い名前かも知れませんね(^^ゞ

そうなんです。この作品が発表されるまでは、私も八尾が富山のどのあたりにある町か知りませんでした。
〔風の盆恋唄〕という小説が八尾の町にスポットを当てたのです。これもやはりペンの力というべきでしょうね。
ここにコメントを頂いた方々はほぼ同年代で尊敬に値する先輩のみなさんです。
こうして、いろんな方々と、文章だけで交流できるのは素敵ですね。私の数少ない友人同様に大切と感じているブログのお仲間です。もちろん貴方様もそのお一人です。

投稿: おキヨ | 2014年2月12日 (水) 00時45分

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