昔の話

合羽を着た神様?

今日いつも訪問する〔二木紘三うた物語〕に久しぶりにコメントを残しました。ちょっと書きたらなかったのでもう少し詳しく書きます。

昔、私の故郷青森県H市には町中知らない人が無いくらい有名な〔合羽〕というあだ名のおこも〔乞食〕さんがいました。〔合羽〕さんは朝早くから町を歩き回るので通学の際によく遭ったものです。知能に問題があるらしく、いたずら小僧たちが面白半分に声をかけてもいっさい返事をすることが無く、彼の声を誰も聞いたことがないのでした。〔合羽〕さんは一日中町の端から端まで仕事のように歩き回るのですから、きっとどこかで食事を調達出来ていたのだと思います。

ある日友人と登校途中、すれ違うときに頭から被った合羽の中の顔を覗き込むことが出来ましたが、以外に顔立ちがよく、ひげを蓄えた容貌はどこか聖徳太子に似ているようでもあるし、和製キリストといってもおかしくない風貌でした。人に覗き込まれても彼のその半眼は茫洋としていて何も見ていないような感じだったのを覚えています。私と友人はその後合羽さんがやってくると〔おぐらい人がきた〕とからかいをこめて言いあいました。

〔おぐらい〕とは故郷の方言で〔気品、高貴〕と言う意味で使われます。百人一首のおぐら人が語源ではないかと私は思うのですが定かではありません。

もしかして合羽さんは〔合羽を着た神様〕だったかもしれない。。。happy01

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群馬にも道祖神がたくさんあります。

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お目当ては誰?

昔の話を少し・・・

私の故郷は東北の太平洋側に面した漁港です。昨年久しぶりに実家へ帰ったところ家の前の河口が一日中静かなことに驚きました。過っては夜中3時になると漁夫達が漁のため川へ降りてゆく話声、リヤカーを引く女達の話声がにぎやかに聞こえましたが、その季節だというのにいっこうにその気配がないのです。第一、船着場が変わったのか舟の数が少ないのです。昔は私の家の前はイカ釣り船でびっしりでした。明け方漁をして帰ってくる船は拡声器で流行歌をがんがん鳴らし、その時間まで寝ている家はたたき起こされるといったふうでした。そして猟師町ですので当時は義務教育を終えた男の子達は船に乗る事が自然で、小学校時代私の同級生だった子たちもそうでした。彼等は〔ホマチ〕といっていくらかの割り当てぶんの漁獲したものを自宅へもって帰るわけですが、家までもって帰らず、この〔ホマチ〕を知り合いの家の玄関先に声もかけずに置いていくことがありました。たとえば昔ほのかに思いを寄せた女の子の家の前とか。。。私の家の玄関先にも時々イカや魚 蟹などが置いてあったりしましたが、我が家は当時年頃の女の子が3人、誰が誰のために〔ホマチ〕を置いていくのか見当もつきません。とにかく捨ててあるように置いていった〔ホマチ〕を礼も言わずに毎日のように頂いた思い出があります。現在は世知辛くなり〔ホマチ〕制度?が無くなったと聞きました。思うに、あの〔ホマチ〕は姉妹のうち、ただ独り中高の顔をした父似の長姉のプレゼントに違いないと思います。私と妹は母似ですから。。。

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幼馴染の死

昨年17年ぶりに帰郷しました。じつは実家近くには画友達と行ってはいたのですが、実家へ寄らずじまいということが何度かあったのです。久しぶりに古い友人や兄妹と話すと辛いことも聞くことになります。私は昭和14年生まれですから、この年になると旧友の不幸を耳にすることが度々あるのは仕方のないことです。なかでも、幼馴染の床屋の育ちゃんが亡くなったと聞いて驚き、寂しい思いをしました。

育ゃんは私の最初の友達であり、小学校へ上がってからはクラスメートでもありました。大変優秀な男の子で学校ではクラス委員、〔昔は級長といいました〕を長年務めるほどでした。家が近所なので私と育ゃんはお互いの家に行き来してよく遊んだものですが、学校では大変しっかりした面を見せている彼が家では末っ子らしくとても甘えん坊で、母親にべったりの子でした。私は彼のこの甘えん坊振りを幼いながら口外してはならないように思え、2人の間の秘密のようにも感じていました。一方では赤ん坊以外はけっしてスキンシップをしない自分の母と、育ちゃんをいつも膝に抱き上げたり、頭をなでたりする彼の母を比較し複雑な気持を抱いたりしたものでした。あれは嫉妬に似た感情だったのかもしれません。

ある日のこと、どういう話の展開からか〔オラが死んだら母ちゃんどうする?〕と育ちゃんが母の膝の上で甘え声で聞いた時、彼の母親は真顔で〔そしたら母ちゃん、生きていられねべ!すぐあとを追って死ぬサ〕と我が子を抱きしめながらいいました。これはまるで男女の睦言のようにも思え、私はこの光景を見ていてはいけないように感じたものです。愛情深い親子でしたら自然のことでしょうが、我が家はそうではなかった。私の母は子供が歩く頃になると、もう手さえ繋ごうとしないひとでした。穏やかな母でしたが、どこか子供に対してよそよそしく、子供の身体に触れることの極端に少ない母でしたので、私はこの両極端な母親達を密かに比較したものでした。この事がきっかけになったか、あるいは高学年になったせいかわかりませんが、私と育ちゃんは少しづつ以前ほど仲良く遊ぶということがなくなりましたが、家が近所だったものですから、その後も成長に見合った友達関係が続きました。しかし私は一度たりとも彼の極端な甘えん坊振りを冷やかすようなことは、親子の神聖な領域を侵すような気がして一切口にしませんでした。

すっかり遠い昔の思い出話になってしまいました。

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