昔の話

父の背中で。。。

71年前の8月15日、この日6歳の私は父と二人きりで海の中に居ました。

父と二人きりというのは後にも先にもこの日だけ。いつも思うのですが、あの無口で笑顔など滅多に見せたことも無い父が、兄達ならいざ知らず女の子の私を連れて海へ行ったことが不思議でしたが、そのことを不思議と思う年になっても、どうしてと気軽に問えるような父ではありませんでした。父が子に対して口を開くときは何かを注意するときぐらいで、こちらから父に対し問いかける話しかけるということはまずありませんでしたので。。。 

それだけにあの日の、父とたった二人きりの海の中は強い印象で私の中に残っています。

思うに、父は終戦になった、もう敵の飛行機がやってくることはなくなった、という安堵から海でのびのびと泳いでみたかったにちがいない。終戦前には東北の片田舎でさえ爆撃機が頻繁に飛んで来ていましたからね。 

私は沖へ向かって泳ぐ父の背中に居ましたが、見渡す限りの広い海でそれは恐ろしかった。あの日の父を懐かしく思い出すというのではなく、ただ怖ろしかったことだけを思い出すのです。

〔自分には強い思い出なのでこの話過去に何度か書いたことがあります。。。(^_^;)〕

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郷の海

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最も旧い記憶

三島由紀夫は自分が生まれた時の記憶がある、ということを書いていますが、それは生物学的にありえないことで、なにかの意識違いによるものという専門家の話です。 

では、人間最初に自分を意識した記憶は何歳ぐらいなのか?人によって多少の違いはあるかもしれませんが、だいたい4,5歳が一般的のようです。

私の場合少し早くて3才でした。 

母と一緒にご近所を訪ね、挨拶をしたときの事をはっきり覚えているんですね。生まれて初めてのご挨拶。きちんと膝を揃えて、それから手をつき〔こんにちは〕と挨拶するはずだったのに、片足を上手く折ることが出来ずに不完全なまま〔こんにちは〕をしてしまい、  周囲が笑いながら〔まぁ、オキヨちゃん、上手に挨拶が出来たこと!えらい、えらい〕

と云われたことを最初の記憶として残っています。私はもっと上手に挨拶するはずだった。恥ずかしいという記憶です。 

着ている洋服は姉のお下がりで胸にシャーリングのある黄色のよそゆきの洋服で嬉しかったことも記憶しています。

のちに母にあの時私は何歳だったかを聞いたところ、3才と云う事でした。 

皆さんもこの世に生まれて最初の自我は何歳だったかを思い出せますか?^^

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30年以上前に遠野の廃屋を描いたもの。藁屋根など今はもう残ってないでしょうね。

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私にチケットをくれた紳士の正体は?

前回の記事に少し関わります。

いまから24、5年前〔エライ昔話!(^^)!〕当時私はある美術団体に属していて、上野の都美術館にはよく来てはいたのですが、同じ上野公園内にある西洋美術館はうろ覚え。その日自分の付属する会の受付を午後からしなければならなかったので、午前中に西洋美術館で開催中のロダン展〔たしか・・・think〕 を観ておこうと会場へむかい、途中で前を歩いていた男性に〔すみません、西洋美術館へ行くにはこの道でいいですよね?〕と訊ねました。男性は〔ええ、この先です。  僕も同じ方向なのでご一緒しましょう〕ということで男性と歩調を合わせることになりました。60代と見受けられる知的な雰囲気の紳士です。 

〔ロダン展をご覧になるのでしょう?〕〔はい〕〔ではチケットを差し上げましょう〕とカバンの中の数枚のうちの1枚を私に下さったのです。わずか数分と云っても言葉を交わさないわけにはいかず、私は○○美術団体で今都美術館で展覧会を開催中であることを話すと男性は私の属する美術会の事に詳しく〔時間の空いた日に出かけて見ましょう。貴女のお名前を教えてください〕と。。。  その後彼は会場へ出かけたどうかは判りません。

後日、といっても数年して、ある美術雑誌の顔写真をみて〔あ!(゜o゜)〕あのときチケットを頂いた紳士だ。。。似てる。相向かいでじっくりと相手を見たわけではなし、確信は持てないものの似てる。。。 

評論家として名前は知られていても当時は写真はあまり見かけなかったのです。〔いや、私が知らなかっただけかも。。。〕

ですから今もって私にチケットをくれた紳士が高階氏だったかどうかは定かではないのですが、私の中では〔間違いない!〕ということにしてありますdelicious 

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美術史学者、評論家 高階秀爾氏

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左利きの矯正の是非

先日、ブログのお仲間O氏が左利きということをお聞きし仲間を得たような気がしてちょっと嬉しい気がしました。左利きというのはどちらかというと男性に多いとか。。。 

私は普段自分が左利きだったということを忘れているのは子供時代厳しい矯正にあい、ほとんど直っているからで、結果的によかったことは大人になって、左利きの為道具などを使えないという不便をせずに済んでいることです。 

しかし、小学校へ上がった当時、家庭や学校での矯正は少なからずのストレスを受けたのはたしかですね。

お箸や茶碗の持ち方は家庭で教わっても、学校では皆の前で黒板に右手で字を書かなければならない恐怖があり、特に私にとって書きにくい字〔む〕や〔す〕という字が書けずに混乱しました。 

私は6歳乍ら自分は劣性なのだと悟りましたね。

自分が社交性に欠け、読書や絵を描くという〔一人遊び〕が生涯変わらず何より好きだということに、子供時代の左利きの矯正が影響しているのではないかと 思うことがあります。

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あるいは嫉妬の感情?

母の夢を見ることはあっても父の夢は滅多に見なかったのですが、昨日郷の夢を見て家族の中に父の姿もありました。珍しいことです。 

夢はそれだけのことですが、父の夢をなかなか見ないのは家族の中で父と私がとりわけ相性が悪かったせいもあると思っています。

支配的な父に姉妹の中では唯一私が父に屈しなかったからでしょうね。自分では特に反抗的ということではなかったと思うのですが。。。

私の父が特別厳格ということではなく、私が育った当時の父親というのはどこの家庭でも正真正銘家族の長ですから、家族は皆父親に従うのが当たり前で、父が、女が夜夜中まで本など読むということを極端に嫌うものだから、私以外の姉妹は父に逆らってまで読書をすることなどしませんでした。 

父は女が本を読んでいる姿を極端に嫌いました。女と云うものは家事を手伝うとか、なにかと体や手先を動かしている姿が好ましかっただったようで、じっと本を読んでいる女など父の目から見るとどうしようもない怠け者だったようです。器量が悪く、怠け者でその上理屈ばかり達者になると嫁の貰い手が無いと明治生まれの父が心配したのかもしれない、と当時の私は思いました。

でも、今になってふと思うことは、父の生い立ちから考えて、本を読む〔読める〕子に一種の嫉妬めいた感情があったのかもしれない・・・ということです。 

父の生い立ちはまた後ほど。。。

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F6 蓮華岳 

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F3 浅間山 

両方とも未完です(^_^;)

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一人旅への憧れ

出来る事なら一人旅をしてみたい。ブロガーのOさん〔男性〕がふらりと一人旅に出るのが羨ましくてしょうがない。

でももう私は年齢的に無理でしょう。だいいちひとり見知らぬ土地で腰痛でも起きたらどうなるの。。。 

8年ぐらい前、函館に一人旅をしたのが最後〔当時60代後半〕あの時はまだ体に不安はありませんでした。夫が退職前までは、社用で夫が留守なのをこれ幸いに思いつくまま好きな処に出かけたものです。 

一人旅で特に思い出深いのは能登半島の旅。輪島で宿泊しようと思ったらちょうどお祭りの最中で宿泊できるところが一軒もない。。。|д゚) 焦りました。 

途方に暮れていたところ、最後に訊ねた老舗の旅館の御主人が〔それはお困りでしょう。。。親戚で今旅館をやめていますが部屋が空いている筈なのでそこでよろしければ紹介しましょうか?〕といって電話で連絡を取ってくれ、なんとか女一人で野宿をせずに済んだことがありました。あの旅館の親切なご主人をいまだに忘れることが出来ません。

気ままな一人旅にはこのようなアクシデントもありますが、背中に羽が生えたような自由さはなにごとにも代えがたいものがあります。それもうヨロヨロの婆さんになっちまってできないのだ・・・weep

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輪島の御陣乗太鼓にはしびれました。lovely

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〔どっとはらぇ~〕の意味

夏には怪談話がつきものですが、私が小さかった頃は夏に限らず、母が子供たちを前に怪談話を語って聞かせたものでした。

物のない時代、昔話や怪談は子供たちにとってなによりの楽しみ。子だくさんの我が家は聞き手が大勢なので語り手の母も張り合いがあるのか話に抑揚があり、今思えばなかなかの語り部だったと思います。 

怪談話はたくさんありましたが、我々子供たちに特に人気のあった話は〔のっぺらぼう〕と〔雪女〕。。。大人になってから、この怪談話はラフカディオ・ハーン〔小泉八雲〕の有名な怪談と知ったわけですが、母がハーンの本を読むわけがなく、 この怪談話は古くから東北地方にあったものを日本の怪談に興味を持ったハーンが著書にしたものと考えるべきです。

そうして、話の終わりには必ず〔どっとはらぇ~〕とつきます。〔これでおしまい〕という意味ですね。  この〔どっとはらぇ~〕を聞くとどんな怖い話もここできっぱりと打ち切られますので怖くて眠れないなどの尾を引くことは無いのです。 

また、この〔どっとはらぇ~〕はおしまいという意味の他に〔この怖い話は祟りの無いようさっさとお祓いをしましょう〕という意味もあると聞いたことがあります。

方言は奥が深い。。。delicious

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ラフカディオ・ハーン

目にコンプレックス〔左目を失明〕を抱えてしまったハーンは

写真を撮る際には目を伏せたといいます。

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捨てるに捨てられぬもの

40年ものの笊↓

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私がまだ30代の頃、知人の男性が東京の女性Fさんと結婚しましたが、縁がなく2年目に離婚。彼女は幼い子供と共に東京に戻りました。

Fさんと私は年が近かったし、私自身この土地とまだなじめずにいたせいもあって、Fさんがこちらで過ごした2年の間は仲良くしていて 買い物なども一緒でした。この笊も彼女と一緒に買ったもの。〔あるいは買って頂いたもの?〕 

いまなら100円ショップで売っているありふれたものでですが、彼女と疎遠になって久しいにも関わらず、他の思い出の品と共にこの笊も捨てる気にならない。

あの時幼かった娘さんは数えてみると40過ぎ。幸せでいるかな。。。 

・・・この話詳しく書くとかなりドラマチックになるはずですが、他人様のことを書いてはイケませんね。

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ある人格者

穏やかな人よと云わるるその人をよく知りおれば黙しおるのみ   市原市 井原茂明

読売歌壇から見つけた歌です。 

居りますね、こういう人。 周囲の評判とはおおよそかけ離れた二面性または多面性を隠し持った人。

人は多かれ少なかれ、他人が判断する姿とは別の面を持っているのことはそう珍しいことではないことですが、極端な場合  はやはり〔へぇ~あの人が!信じられない〕となります。 

此処から昔話です。

ご近所のある方はわが団地では別格の人格者で通った方。  でも、30年ほど前〔かなり昔(^^ゞ〕あるスナックでその方と偶然一緒になり、美人のママさんを口説いていた彼はフツーのだらしなく酔っ払ったただの男だった。それはいいんです、そんなこと別に珍しくもない。 

ただ、夫の車が無い時に限って何度か我が家に電話があり、ネチネチと〔あのスナックでのことは見なかったことにしてネ〕と。体面を重んじる彼には誰にも知られたくない自分を、こともあろうに近所の女にみられてしまった。重大事なことはわかります。

この方はもうかなり前に亡くなられています。でもなにかの拍子でこの人物の名前が出ると夫は〔あの人はじつに人格者だったねぇ〕と今でも言いますね。

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人はいろんな顔をもつ。。。

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無用な荷物を持ち歩く

先日の不要品整理に関連した50年物の話。

結婚当時、東京江戸川の社宅に2年、今の地方に転勤、此処でも社宅に4年、そして現住所に自宅をということで3回の引っ越しをしていますが、この間ず~~っと義母から貰った家財を持ち歩くということに。。。 

どういう〔荷物〕かというと、年代物の長火鉢2個、正方形と長方形の座敷テーブル、蚊帳、台所用品では年代物の膨大なせとものとグラス類。花瓶や鉄瓶大小数個などなど。。。つまり義母の家業だった商売道具〔カフェ時代〕を末息子の嫁である私にそっくり手渡したという形です。 

まだ若かった私、物はどうあれせっかく義母からもらったものを右から左へ捨てるのも夫に悪い気がして新居の押入れにしばらくは放置しておいたのですが、しかし、どう考えてもこれら年代物に何の価値も見いだせない私、たまりかねて〔お義母さんも亡くなったことだし、捨てていいかしら。〕と夫に訊くと  〔そんなものいつまでとっておくんだよ〕と。もっと早く気付いてほしかった。pout

60代位から骨董市に興味がわくようになり、隣県のK市に骨董市を時々出かけるようになった時、私が価値を見いだせなかったものなどがかなりの高額で売られていることを知りました。

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借り物の画像です(^^ゞ

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